浜辺に押し寄せる波のように、どんな嫌な事でも逆らえない。

生きることは不平等だが、死は等しく公平である。オスカーワイルだが、言った言葉だと記憶している(記憶違いなら教えてください)。
しかし、生を受けることはこれも等しく公平である。
問題は人生の中身なのだが、これはなかなかの難しい。先日なくなったスティーブジョブズ氏の人生もそうだが、不思議と全く同じ人生と言うのはあり得ない。長い歴史の中でも、似たような人生というのは送ったことはあるが、まったく一緒というのはあり得ない。
不思議なものだ、顔と一緒で、同じものがない。70億通りの顔と人生があるのだ。その中で我々が経験するのは、おそらく、苦しい事7割、楽しいこと3割なのだろう。
楽しいことはさける事はできるのに、苦しいことはさけられない事が多い。
身にかかる火の粉という話ではないが、似たような物だ。
どんなに嫌だと思っていても自分の人生に不愉快な出来事はさけられず、さらに言えば思いも寄らない嫌な事も起こる。
ヨブが、「恐れ戦く事が我が身に及ぶ」
と聖書にはあるが、まさにその通りでもある。

だが、実は、嫌な事というのはとても主観的であり、他人から見たらそうではない事と思う事の方が多い。
だが、誰がどうみても嫌な事もある。

話はかわるが、大海の波というのは絶え間なく続いている。
実は海でおこる波の根本たる原因というのははっきりしていないらしいが、ともかく、この地球ができ、海ができてから、何十億年とずっと絶える事なく波は浜辺に打ち寄せている。
飽きる事なく、何度もだ。しかも、海と陸の間には例外なく波が押し寄せている。その波の力というものは、恐ろしいほど強い物だ。台風などで荒れ狂った波の恐ろしさはもちろんの如く、弱い波も時間をかけて岩石を浸食していく。

いろいろ考え事をしていたときに、太平洋を見て思ったのだ。
まるで、自分の人生に押し寄せる嫌な事は、波のようだ、と。
つまり、誰でも、どんな立場の人間でも、嫌な事は押し寄せる。それも波のようにだ。そして、その嫌な事の波に、自分の心がどんどん削り取られていってしまう。実は嫌な事の波、というのは最初はとても穏やかなものだと思う。
それを大げさにとらえ、心に嵐を巻き起こすとその浸食度合いも半端ない。
嫌な波がきたら、それは静かにやり過ごすことが大事だ。
大げさにとらえず、事実は変えられる物ではないと捉え、ありのままに受け流す事が大事ではないだろうか。

※この記事は小生の仕事上の都合により、執筆に間がありました。公開するのに迷いましたが、せっかく書いた記事なので中途半端でも掲載いたしました。