何かしようとすると邪魔が入る、タイミングが悪いのはなぜ。そして、運が悪いのを良くするのではなく乗り切るためにどうしたらよいのか。



僕のブログの中でも、もっとも読まれている記事の一つが、タイミングが悪い理由の記事になります。
あれから、2回ほど追記の更新をしましたが、読まれている分量は最初の記事の方が多いです。
さて、今年本厄の年にあたる自分が思うのは、このタイミングの悪さ、というのは、結構致命的だな、と思うのです。

運が悪い、タイミングが悪い、というのは、厄年になってから一層酷くなっていき、もはや自分以外の人でも首をかしげるような状況が出てきています。別にすぐに命に関わるようなことはないのですが、嫌がらせのようなことがあまりに続くので、周りが不可思議に思うことが多々あるみたいです。

年を重ねるにつれて酷くなっていく、このタイミングの悪さ。
若い頃は勢いと若さのエネルギーで乗り切ってきましたが、そうもいかない年になってきてもはや乗り切ることが出来なくなってきています。ですが、未だにそういうことは続き、どうしたものか、と考えるようになりました。

神業的なタイミングの悪さは、やはり人の力を超えているものがあります。そして、様々にその原因を探ってきましたが、形而上学的な理由、つまり、

「どうしてタイミングが悪いのか」

には様々な理由があり、はっきり言いますが、

「解決出来ない問題も多く含んでいて、人の手に負えるものではない」

という結論にも達しています。
そして、最近は思う事があるのですが、

「運が悪い人は、運を良くするのは、むしろドツボにはまっていく」
「運を良くしようとして、かえって悪くなる」

ということです。
ツイッターでもファボをたくさん頂きましたが、

「運が悪い人には、運が悪い人なりの生き方がある。運がいい人と同じ事をしても良くならない」

ということです。

これは、雨の日なのに無理して晴れの日の格好をしてかえって悪いことが起きるようなものです。晴れているときは晴れの、雨が降っているときは雨の過ごし方がある、ということです。

ちまたには、運を良くする為の本やら方法やらがたくさん溢れています。そして、それらはスピリチュアルというカテゴリライズされ、私たちの目に触れることが多いものです。
ただ、このスピリチュアル。色々実践してきて、本当に良くなったことは希でしょう。
パワーストーンが効くといって、それこそ漬物石のようなものを持っていてもダメですし、効くは効くけど思っていたよりは、というのが本音では無いでしょうか。

色々なものを見てきて、試してきて、専門的な分野に足を踏み入れ、専門家として活動して、思う事があるのです。

どうして、自分にふさわしいことをしないのだろうか、と。

自分の器というものがあり、器量と言うものがあります。
良かれ悪しかれ、器の大きい人、小さい人、様々です。

自分の運の器は大きいですか、大きくてまだまだ運気は上り調子、たまにはこけるけど、でも自分はとても幸運で未来の展望は明るいです、と、いうのであればそれは大いに結構です。

でも、何やってもうまくいきづらいし、運もちっと良くならない、タイミングもよくないし、神社やお寺に行ってもよくならない、そんなに信心が浅いわけでも無礼をしているわけでもない、そこそこやっているし、他人に恨まれるような事をたくさんしているわけでも無い、でも、運が良いと思う人と比べると、自分はあまり運が良いとは言えない、どうしてかなぁ、という人は結構いるのではないでしょうか。

自分は運が悪いと認めるのは、とても辛いことです。
それはある意味で、

「幸せには生きられない」

と自己宣言しているようなもので、認めるには本当に辛いことです。しかし、事実はどうでしょうか。結局のところ、スピリチュアル界隈をうろうろしている感じでは。

「自分の運の器はそんなに大きくない」

と考え見ましょう。
幸せを受け取る権利はありますが、自分の器が全部を受け取れるだけ大きくは無いんだ、という見方もあると思うのです。

そういう人には、そういう人の生き方があると思います。

まず、

1.「出来ないことはしない」

これは鉄則です。出来るようになろうとしたりするのも、挑戦は良いのですが、間違った信念と勘違いの元に続けるのは、溢れ続ける器に水を注ぐようなもので、無駄です。


2.「タイミングが悪い時に重なってなにか来ても、最初にしていることをやりきってから次に移る」

何か大切な事をしているときに電話がかかってきたりします、集中力は削がれ、リズムは崩れ、ナイスアイデアはどこかに消えてしまいます。集中をしていたり、何か作業をしていたりしたら、こちらで一息つけるまでは相手のペースに合わせる必要は無いのです。途中でかかってくる電話やどうでもいい用事は、大して重要ではありません。なぜならば、それは貴方を邪魔するだけにそこに持ってきているものです。だから、時間をずらして行っても問題は起きづらいのです。


3.「邪魔は必ず来るので、何が大事で何が邪魔なのか決めて、毅然とする」

2と大して変わりませんが、例えば、何か作業をしていて電話がかかってきたら、これは大事な電話かもしれない、と考えてしまうことです。無駄です。邪魔をしてくるタイミングは手元にある駒を訳分からずに投げているだけで、それを次から次へと処理する必要などありません。貴方の集中を妨げるものは、その場で処理をする必要はほとんどありません。後回しにしてみてください。そして、本当に即時に対処が必要なものか検討してみてください。実は後回しにしてよかった、と思う事の方が多いでしょう。結局は邪魔は邪魔でしかないのです。

4.「柔軟に対応…してはいけません」

融通を利かせたり、柔軟に対応するって良いことですよね。でも、貴方の邪魔をしてくる存在に対して、貴方は接客をしてはいれません。邪魔をしてくる存在、それは神か仏か悪魔か人か仕事かわかりませんが、柔軟に対応すれば、もっともっととどんどん来ます。きっぱりと、できない、やらない、今はダメと断りましょう。邪魔が大事でしょうか、そんなことはないですよね、邪魔は邪魔です。柔軟に対応して邪魔をもてなしてはいけません。


5.「必要なことでも、できないのではあればやらない」

一生懸命も結構ですが、それにタイミングの悪さはつけ込んできます。やらなければいけないような顔をして邪魔してきますが、できないものはできない、それがやらなきゃいけないことでもできないのに無理してやるからできるでしょとなるのです。
今はできない、それでいいのです。
必要なことでも、自分の出来る範囲を超えているのであれば、やらずにスッパリ切りましょう。


6.「神や仏は頼りにならない」

あがめ奉ることは大事です。だけど、彼らは好きな人にはちゃんとしてくれますが、それ以外にはあまり目をくれていただけれません。
人事尽くして天命を待つといいますが、人事を尽くさない内から天命に頼っても、彼はら何もしてくれないどころか、これは良いチャンスといいさらに無理難題をふっかけてきます。


7.「しない、やらない、自分でどうぞ」

僕も邪魔が多く、それに対応してくると、更に上手できます。それを読んで更に上手で、と繰り返して乗り越えてきた結果、みんなが首をかしげる事態に当たり前に遭遇します。
試練を与える側は、乗り越えられたらさらに、といわば精神疾患的な虐待的な試練を用意してきます。そういうものには積極的に対応してはいけません。できる限りのことを自分のペースで、邪魔だったら後回しで、出来ないことは貴方の責任ではありません。
考えてもみてください。出来ない試練を与えられ、乗り越えられない壁を与えられ、出来なかったら、乗り越えられなかったら、貴方の責任、成長不足と言われることです。
よく考えたら、むちゃくちゃです。
好き好んで与えられた試練だったら、それは仕方が無いでしょう。
身に覚えが無いない不運というのは、貴方の責任ではありません。それは、天の責任です。出来ない試練を与えることを許した天の責任であり、貴方の責任ではありません。
出来ないことは、できません。
できる限りやって、できないのは、仕方が無いことなのです。
これくらい乗り越えろというならば、出した天が自分でまずお先にどうぞ、と譲るのです。
出来ないことや運など、知ったことではありません。
貴方が一生懸命やることではないのです、やったところで、また次から次へです。


8.「人に責任があるならば、天地にだって責任がある」

度々のつまり。タイミング悪い、運が悪い、というのは、身に覚えが無ければそれは天の責任なのです。


9.「天はいつもいつでも見ている…わけではない」

天網恢恢疎にして漏らさず。と言いたいのですが、天もそれなりに忙しいらしく、結構目を離しています。そして、無茶なお願いをした人たちのいうことをよく検証もせずに飲み込んでいることもあるわけで。
僕は尊崇する神社でお参りするときは、感謝の念と、今自分が置かれている状況を報告します。地で行われることは、天の予定通り、と言うわけではないようなのです。目に見えないものは目に見えないものに、上には上で責任をとっていただくために、状況報告大事です。さぼっている何かをちゃんと働いてもらうためにつきましょう。



運が悪い人には、運が悪いなりの生き方があります。
無理して、運がいい人のように生きる必要などありません。










人気の投稿