タイミングの悪い人、タイミングの悪いこと、そして、運とタイミングの関係2
アクセス数がとても多い記事、
「タイミングの悪い人、タイミングの悪いこと、そして、運とタイミングの関係」
の新解釈です。また、この記事を始め、ブログをお読みいただきましてがとうございます。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
さて、僕はタイミングについて注意深く観察をし、どいうことなのか、という根本的、形而上学的理由を探ろうとして、一つ気がついたことがあります。
それは僕が昔から考えていたある疑問たいしての一つの答えになりました。
まずは以下のリンクを参照ください。
http://karapaia.com/archives/52179386.html
この世界は仮想世界である、ということに対して、オックスフォード大のとある教授は絶対にありえない、という結論を提示し、現在、この
「仮想現実説」
は肯定論、否定論、ともにある状態です。
僕は、この世界は仮想世界である。という、ある種の確信と確認があります。
しかも、この世界は一定の採用基準を設けた教育プログラムでもあると思います。
そして、元来、私達人間は、神のように全知全能ではないが、実は本来は不死の存在として、この世界の外側に本来の肉体があるのではないかと思います。
生物にとって、最大の発明と言われている一つのものに、「死」があります。
死とは、生物学的にみたら、単に生命活動が停止し、不可逆的な状態に変異し、やがてこの世界から消え去ることであるなどと説明の必要はない、ある種の生理現状です。
よく考えれば、この死によって失われる情報は数ゼタバイトでは効かないでしょう。
ちょっと嫌な話になりますが、男性は一回の射精で、「1587.5テラバイト」の情報量を吐き出します。
少し考えてみてください。
人一人がまるごと消え去ったら、一体どれくらいの情報量が消え去るのでしょうか。また、その人の、経験、記憶、感情、様々な目に見えないものを考えただけでも、ヨタバイトで効くのでしょうか。
そして、自然界のシュミレーション、原子、量子のシュミレーション。オックスフォード大学の教授が主張するように、確かに処理速とをなんとか向上させても、計算用メモリが全宇宙のものをかき集めても構成できないでしょう。
それでも、なお、この仮想現実世界論を支持するのか。
僕が見たものを説明するのは、非常に難しいし、許可を得ていないので詳しく話せませんが、できる限りの範囲で説明をしますと、この世界を動かしているコンピュータは
「処理をサボっている」
のです。
サボっているというか、実はハイパースレッドテクノロジーみたいなもので、ものすごい計算量と情報量を処理するために、
「世界のすべてを計算しているわけではなく、できる限り処理を忌避し、空いた時を必要な処理に使っている」
と、僕は考えているのです。
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続きます。