僕が不運を脱するまでし続けたこと、それは嫌だと叫び、引き受けないと断り続けたこと。
ペパーミントティーを飲みながら。
数年前まで、僕は大変な不運でした。
いや、幸運もありましたけど、やはり傍目から見て不運な人というように見えたそうです。四柱推命的に言えば、22歳までは大運空亡であり、脱してもあまり運が良くありませんでした。
空亡や、運の良し悪しについては、また別の記事に投稿しますが、あの時に僕がしていたことは、ひたすら叫ぶことでした。
運が悪い人、というのは、いろいろなタイプがありますが、持論では運が悪い人はそんなにいないものだと思います。何故ならば、運が悪いということは、自然界では死に直結するからです。
この地球に生まれる時に、たいていの人は強制的に本能というものを刷り込まれ、その中でも強く「生きろ死ぬな」という強いイメージがインストールされます。
生きるために、基本的に消費をします。植物界はともかく、動物界において、それはだいたい他の生物のどんな形であれ捕食する、ということです。
運が悪い、ということは、他者から見れば絶好の捕食対象なのです。
自然界において、そういったものが出てきた時に、当然運が強いものが生き残っていきます。さて、今は生物が発生して、どれくらいの時間が経っているのでしょうか。
そういうことを考えた時に、運の良さ悪さ、というのは、ある意味で何か違うものが働いている、干渉していると考えてもさほど不思議なことではないでしょう。
運の良さ悪さを自分とは違うところに求めるのは間違いという声もありそうですが、人類の長い歴史を見ると、何かしら運というものは影響されるものというものを感じ取っています。そういったものを物質に求めることもありまして、そういった品物は呪いものといってそこいらにたくさんあります。
話は戻しまして。
その中で、稀ですが調整役にされている方々もいます。
霊力があって(霊能力とは別)、魂の器が大きく、持っているエネルギーが強くて、また強いエネルギーを受け止めることができる人たちです。そういった人たちは、大抵は生まれ持った自分の能力を本能的に感じており、だいたいがスピリチュアルな道に走ります。
そういった人たちは、実はいろいろな意味で調整役が任されることがあります。人にはそれぞれに応じて、霊団がついています。
守護霊とか言われることがありますが、大抵の人が思う
「何か悪いものから守ってくれるセコムのような霊」
とは全く違いますが、中にはそういった働きをする場合もあり、今の霊視をする人たちの中でも気付き始めていますが、そういうものとは違う、いわゆる指導霊の方々というものです。
個人に数人から多い時には数十人単位でついており、シフトで動いています。そして、上下関係もあり、きちんと中で報・連・相なども行なっているらしくて、場合によっては異動したり新任したりと結構忙しい動きで、現在生きている人たちをきちんと天意にそうように指導したりされています。
こういう話は、ヘミシンクでも同じことが報告されており、多岐にわたるスピリチュアルな研究や触れ合いからから間違い無いですし、自分の指導霊ともそのように会話というか、コミュニケーションをしているように思います。
ただ、指導霊団サイドから、積極的に本人のコンタクトを取ることはあまり推奨されていないので、お客様気分で待ち構えていても、何も教えてはくれないでしょう。
霊力がある、力持ちな人は、この指導霊団と個人との関係はかなり微妙なものがあります。例えば、今の時代の人たちにわかりやすく言えば、会社や家庭です。
我慢できる人がいれば、なんとなく我慢させてしまうのでは無いでしょうか。それが立場だったり、性格だったり、何かの特徴や才能だったりするわけですが、できる人がやってしまえば良い、という、だれた感覚は誰しもあると思います。そういう役割を任されていて、とてもストレスフルなのに引き続き引き受けてしまう、という状態にある人も決して少なく無いと思います。
霊力がある人、精神的に強い人、それからエネルギーが大きく、その器が大きい人たちは、残念ながら、霊の世界でもそういった特徴から、調整役を任されてしまうことがあります。
本人は自覚はありません。霊団、それも霊団の上層部が決めることでもあります。この辺り、とても説明が長くなるのですが、自分の指導霊団というのは、実際にこちら側に来ているサイド、それから中間管理職みたいな層があり、上層部があります。そのあたり、詳しく追求しているのが、ドリーン・バーチュー女史が天使界を通じて非常に詳細に解き明かしています。
天使云々はともかく、彼女がいうことには大変賛同しており、これも数多のスピもヘミシンクも賛同しています。
ちなみに、これら上層部は、「カウンシル」などと呼ばれており、奇しくも、ヘミシンクの呼び名とドリーン氏の呼び名は一致していたように感じます。
なかなか散逸してわかりづらいと思いますが、人にはそれぞれの器や都合や顔やら性格などがあり、これは霊や魂の世界でも同じです。そして、人類の肉体のあるコミュニティーと同じように、向こう側にもコミュニティや全体のバランスの都合があります。
全体のバランスが悪くなる時、どうしても任せられる人に任せてしまう悪い癖があります。わかりづらいと思いますが、残念ながら、霊界サイドもまた完璧では無いのです。
私たちよりも優れた社会システムを持っていますが、運用は完璧とは言えません。私たち肉体を持って生活している以上に、彼らは多くの要素を抱えながらより良い人間の霊界というものを目指して頑張っています。そして、人間界にもあるように、彼らにも出来不出来がありまして、当然ですよね、だって僕たちが元々いた世界ですから。
閑話休題。
つまるところ、向こう側も引き受けて大丈夫な人に引き受けてもらっています。これは仕方がないことですが、本人が自分の力の器を自覚していないと、非常に辛いことになります。もちろん、向こう側もそういうものがダイレクトに見えますから、調整はしますが、どうしても断りきれないものや、任せて大丈夫と判断したものは、生きているできる人に投げます。
本人からすれば、何のいわれもない不運が身に降りかかることになります。
なぜ、私がこんな目に遭うんだろう?
その答えの一つに、あなたがそれを引き受けても大丈夫と指導霊団が判断をして調整役として投げているからです。
指導霊団からすれば、たくさんのメリットがあります。
まず、
調整役として引き受けれてことで、全体のバランスが保てます。
何か起こっても任せられる人を見つけた安心感があります。
本人にとっては不運だけど、乗り越えることで精神力や学びを得られるメリットがあります。
本人が乗り越えるために、霊団として指導ができ、経験もでき、実績もできます。
こういったことが、実はよくない方向に進むのは、人間界と一緒なわけで、いつか破綻をします。それが、本人としては、我慢できない限界に近づきます。でも、上記の理由でいつだって、変なデスマーチが始まってしまいますから、本人が言わなければ、壊れるまでこのサイクルは続くことがほとんどです。
もし、どうしても不運が我慢できなければ、僕がそうでしたが、叫びづけることです。
もう調整役は引き受けない、
もうできるからといって任せられても困る、
もう無理です
と。
それでも、どうしても出来上がった流れはすぐには止まりません。
でも、それでもできる限りその「余計な部分の」不運は止まるようになります。
これは人間界の仕事でも一緒ですよね。
だから、自分が協力できることはすることが必要です。例えば、精神的に余裕がある時の不運や何かの勉強かもと思う経験。
でも、できない時には、今は無理です、ときちんと言いましょう。
声に出したほうがいいです。
指導霊団のほとんどは人間出身であり、肉体がないだけで、今現在とあまり変わりはありません。
彼らもまた勉強している最中でもあり、完璧ではないのです。
だから、便利なセコムみたいに扱うのではなく、日頃から感謝して、日頃からできることをして、きちんと生きて、できないことは断る、生きている人間との関係と一緒です。
辛い時には無理に引き受ける必要はない、
と僕は思いますよ。
私は直接尋ねたことがありますが、指導霊団にとって、一番の成果は、きちんと生き抜くことだそうです。立派かそうでないか、それは人間界の基準で、霊界の基準とは関係があまりなく、きちんと生き抜くことが大成功なのだそうです。
病気とか事故とか、そうやって終わる人生もきちんと全うしたことになるそうです。終わった後、少しして、みんなできちんとお祝いをするそうです。
指導霊団に失敗があるとすれば、本人の自殺だそうです。これは、考えるだけでも恐ろしい出来事だそうで、本人は自分自身で罰する世界に身を投じてレトリーバル(救出) が困難になる上に、指導霊団は当然上層部からかなりのお叱りを受けるそうです。それがどのようなものになるのか、全くわかりませんが、ともかく絶対にその結果に結びついてはいけない、ということは語っていました。
犯罪については、あまり語ってもらえませんでした。
霊と直接触れ合う機会がない人たちは、霊は特別な存在だと思いがちですが、生きている人間とさほど変わりがありません。
生きていく、ということが指導霊団との協力作業であり、共に学びである、ということを忘れずに、お互いも完璧ではない、ということを念頭に、できることはできる限り、できないことはできないと言う、そういった関係を指導霊団と気づける人が増えることを祈るばかりです。
なかなかできませんけどね
Σ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ☆