ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を改めて見直した。

小生は、このエヴァが大好きで、旧約聖書から新約聖書まで引っ張り出して半分研究しながら見ていたというファンである。
小生よりファンであるという人は多いと思うが、ここではマニアックな話よりも、もっとその作品の端々にみられる心打たれた話をしようと思う。
だから、内容についてはどうこういうつもりはないので、あしからず。

まず、序を見たが、これはどちらかというと、ひさしぶりのドキドキ感で、何回見てもその斬新さには目を見張るものがある。
しばらくして、映画館で破を見たが、なんの因果か、体調を崩してしまい、途切れ途切れでしかあまり記憶がなかった。それで、遅ばせながら、やっとDVDを借りてみたのだが、この破はとてもいい言葉が、あたらこちらにある。

例えば、ゲンドウの

「シンジ、自分の願望というものはあらゆる犠牲を払って自分で叶えるものだぞ」

などは、本当にそうだと思う(ただし、一部に反論はあるが)、今の若者にこの意味がわかるのだろうか、いや、教えたいとも思う。

ミサトの、

「行きなさい、シンジ君。誰のためでもない、貴方自身の願いのために!」

などは、心にズンとくるものがある。
その前には、リツコが
「やめなさい、シンジ君。それ以上進むと人間に戻れなくなる」
と言うセリフがある。

ミサトの本音はシンジには人間としていてほしいという愛情すら見える。だが、彼の願いのためならば、彼自身が人間で無くなってもその願いをかねえてほしいという、自己犠牲(自分の気持ちの)にも等しいこの叫びは、尊いものである。

貴方なら、本当に好きな人が、二度ともとに戻れなくなってしまっても、ミサトと同じことが言えるだろうか。ミサトはTVシリーズではどちらかというとモラトリアム的な感じがして、弱いところがあったが、映画版では、しっかりした大人の精神をひとつ通している。

その反面とも言える、ゲンドウの言葉もこれもまた真意でもある。
あらゆる犠牲とは、時間や物資だけでなく、自分の心も含めてなのだろう。
見ているに、ずいぶんと大きな計画をしているようだが(TVシリーズとはどうも目的が違う気がする)、そのためにはどんな犠牲も厭わないという姿勢はたいした物である。これくらいの覚悟がないと、世界は動かせないだろう。

私たちの住む世界のリーダーたちは、
金も権力も票も、あらゆる欲望を剥きだしにしてそれを叶えようとする。

この二人とは、ずいぶんとかけ離れた人たちが、我々の世界を仕切っているようだ。