魔法は本当にあったのか?

昔々の話を読むと、ほぼ例外なく不思議な力の話が出てくる。
呪文を唱えると、いろいろな現象が発動するあれだ。
これは洋の東西を問わない。大抵壮大な物語には出てくるし、およそこれがない話などあまり考えられない。
しかも、発祥が古い。
めちゃくちゃ古い、多分、人類が物語というものを産み出してからあるはずだ。
ここで、ふと疑問に思う。
現代では手品はあるにしろ、呪文や動作、儀式をしても魔法はおよそ発動しない。
というか、発動はしているのだが、物語に比べていかにも小じんまりとしていて迫力がない。
映画の世界ではバンバンそういうものがあるのに、自分たちは違和感を感じないし、むしろそういうものに憧れてさえいる。
妖怪だって、幽霊だって、鬼、悪魔、神様ですらそうだ。
昔ほど頻繁に現れない。
なぜだろう?
以前に友人に、こう聞かれたことがあった。
「昔は本当に悪霊や妖怪は目に見えていたの?」
小生はこの答えには、「イエス」だ。
何をバカな、というのはわかる。
しかし、考えても見てくれ。
想像力の域を越えているものがたくさんあるではないか、あんなに生き生きとして、まるで見たものを書いたような描写は、すべて想像だったのかと。しかも、どんな文明でも出てくる。
もちろん、物語はフィクションを孕んでいるのは間違いないが、現実も含んでいるのは否定はできまい。

大昔、人は妖怪や悪霊、怪物など今では想像上と思われているものは、みんな五感で感じ取れ、実際に目の当たりにしている。

ではなぜ、現代ではそんなことが偶然の域でもないのか。

きっと、昔に比べて勘が鈍ったとか、霊能力がなくなったとか、きっとそんな類の話は出てくるだろうが、そうではないと思う。

おおよそ、19世紀あたりからぱったりとなくなってしまっている。
いや、兆候は中世の暗黒時代からあったのだが。

結論から言えば、この世界が変わったのだ。
もっと詳しく言うと、「違う世界から隔絶に近い状態にされた」というべきか。

おそらく、位相がずれた世界には未だに想像上のものたちが、生き生きとしていると思う。

この考えがでたのは、自分が陰陽学を実践してきてからだった。
昔の文献のとおり復古して行っても、もちろん効果は出るが、その文献より規模が少ない。
だが、ふとした拍子にでることもある。
小生の力量がないといえばそれまでだが、他にも様々なものを試した。
いづれも効果は小さい、が、確実に出る。
そして思うのだ、何か突っかかる。
本来ならこれくらい出るものなのに、壁があるというか、突っかかるものがある。
つまり、自分たちのいる世界に招き入れにくいのだ。
だったら、自分たちが向こうの世界を覗くしかあるまいと思う。

しかし、おおよそ、大昔と世界は異なっている。
それは自然の原理と言うレベルでも言えている。
大昔と今の世界は違う世界である、というのが、呪術に携わるものの結論だ。
まったく連続性がないわけではないが、性質が異なっている。
これはとても感覚的なものなので難しいが、ある時点から違う。

そして、ヘミシンクに出会い、深みを探求し、
そして、スウェーデンボルグの霊界日記に出会う。

それらを総合して鑑みると、一つの結論が出る。
つまり、昔、この世界はとても曖昧なものだった。
つまり死とか、魔術とか非物質的なものとの境目が曖昧だったのだ。
というか、近かったのだ。
ある時点を境に、極端に物質的な偏りの世界になった。
実際には万里の長城や鎖国みたいな壁ができたのだろう。

だから、昔のシャーマンたちは死の国に赴くこともできたし、もっと高位の世界に接することもでき、この世界に持ち込み、通路を作ることができた。
しかし、今の時代はそれはできない。
というか、普通の人には見ることすらおろか、感じることもできない。
完全に物質的一辺倒な世界だ。
だが、よく考えてみてほしい。
我々は肉体だけでなく、精神的なものでもある。
肉体は証明できるが、証明できないが、心があるのはわかるだろう。

攻殻機動隊にこういう一節がある。
「肉体を義体化することで、返ってゴーストの存在を証明する皮肉な結果になってしまった」

つまり、どこまでも人間を機械に置き換えても、それが返って見えないものを証明しているという結果に至ったということである。

エヴァンゲリオンでも、
「魂のデジタル化はできない」
と赤城リツコが話している。

つまり、見えない世界は確実にある、ということだ。

思考パターンなどはコピーできても、自分自身をコピーするのはおそらくできないのであろう。
たとえ、自分のクローンを作ってもそれはできない、と、確信がある。

つまり見えないものは存在している、ということを自分自身の存在が証明しているのである。

話の本題に戻るが、だが、我々にも壁がある。
精神や魂というものは見えないということだ。
しかしながら、昔の人間達は見えていたと思う。
彼らの住んでいた世界は、とても「死」というものに近かったと思う。

ヘミシンクではこの宇宙は、いくつもの階層に分かれている。
これは仏教でも、キリスト教でも、同じ結論に至っている。

ヘミシンク風にいうならば、こうだ。
「昔の世界と今の世界はフォーカスレベルが違う」

小生の結論もそこである。
しかも、これは意図的なフォーカスの移動であると思っている。

スウェーデンボルグでも、魔術のことについて触れているが、ある時を境に、霊たち(私たちのいう、物理的な肉体がないものである。周波数が異なるといってもよい)は、この世界に干渉することを禁じられていると言っている。これは霊界日記の魔術の正体という項目に詳しい。

大昔は、レベルの高いものであっても、低いものであっても、きっと現実世界に干渉する力はあったのだろう。だが、ある事をきっかけだと思うが、我々のこの世界は、物理的にしか干渉できないよう、何かに囲われてしまった、または作為的にそうされたと思う。
我々が遠ざかったのかと思うが、だが、しかし、動植物も含めてごっそり違う世界にされた、ルールを変更されたと思う。

唯一、他の世界を垣間見ようと思うと、我々は物理的な感覚やものを一時的にであれ放棄しないと、他の世界への切符が手に入れられない。
だから、死というものは昔はさほど別れ離れになるものではなかったのに対し、現代では二度と会えないような錯覚に陥っている。
だが、実はそんなことはないのだ。

実は小生はこの世界が二度ほど変わった、という実体験を持っている。
実際細かいことを言えば、世界の時間が一時的に止まったと思うことは、2000年の前にはかなりな数で直感的に思っている。感覚なので説明辛いが、明らかに変わったと思うのは、1987年前後だ、下手な話物理法則もベースを除いて変更されているような気がする。
実際、ある物理学の論文ではこの年に、宇宙の二度目の膨張時期が始まったのではないかという計算結果も出している。
こう、なぜ分かるのか、という問いには難しい。
ただ、当時はぐいっと引っ張られる感覚があったのと、
「あ、今、時間が止まっていた」
と、直感的な感覚だけだ。そして、それは世界的規模だったんだろうな、という思いである。
今では、「自分だけ」が移動した感覚はある。
それは、知っていたルールが異なっていたり、逆に知らないルールが当たり前になっていたり、見知らぬ人が有名人の中でも大御所だったりしている。逆に知っていた人がいなかったり、というのもある。
あまりに変わるときもあり、おもわず、家族に、
「誰?」
と、聞いたら怪訝な顔をされたこともある。
「貴方、知っているでしょ?」
と、返されることもしばしばだ。
だが、本当に記憶になくて、ネットで調べると確かに昔から人物だったりする。
今は世界のフォーカスは移動がなく、個人レベルでフォーカスが移動している感じだ。

ヘミシンク的に言えば、この世界はフォーカス0だ。
だが、この整数値の他にも、個人個人で、小数点以下の数字があるのではないかと思う。
(実際、人間の意識はフォーカス3か5くらいのはずだが)

ともかく話は逸脱したが、大昔にタイムスリップする術があれば、
われわれは偉大な魔法使いというのが本当にいたのだ、と目の当たりにすると確信している。