人に何かを求めるのはいけない、のかもれしない。



海老蔵さんの奥さんである、小林麻央さんが亡くなられたことに、まずご冥福と哀悼の意を表します。
僕もまだ最近、大切な人たちが亡くなることを経験したばかりで、そのショックは計り知れないものがありました。
不思議ですね、亡くなってから頼ることや思うことが多くなりました。
海老蔵さんが記者会見をしていて、なんでそこまでするのかな、と思うのです。泣きはらした目を見たときに、少し落ちつくまで周りはそっとしておけばいいのに、と思いました。でも、多分、世間、というか、許さないんでしょうね…悲しいことです。
死を悼む時間は人間には必要なことだと思います。

つとに思うのですが、最近の私たちって、いろんなことを他人に求めすぎると思うのです。他人に期待しづきている、というか。

政治家は聖人君子でないといけない、
とか
公人にプライベートはない、
とか

なんというか、とても感情的になっている感じが否めません。
感情というものがどういうものか、別の記事にしますけど、あまり感情を主体にもってきて、基準にしたりするのは良くないと僕は思います。

他人というのは自分とは違う環境で育ちで気質があるのですから、衝突するのが当然です。
でも、最近の傾向を見ていると、

「他人には気分良くさせてもらって当たり前」

みたいなところがあって、それって本当にいいのかなぁ、と思うことが多いのです。
感情なんて一種の物差しで、自分にとってどうかという単純な物差しにだけにしかならないのに、それがメインのことになってしまって、

「感情がNOと言えば、絶対にダメ」

みたいなことがまかり通っているのがとても残念で、知的な考えととても思えません。

自分のことは自分ですれば、そんなに他者に対して求めたり、なにかを無理やり強要することは無いと思います。

自分のことは自分でする。

というのは、少し前ならば当たり前でした。
インディアン(ネイティブアメリカンと呼ぶのが正しいですが、本人たちがこう呼んでも構わないといっているみたいでこちらがしっくりくるので使います)を始め、昔の日本人など世界中古今東西どこでも、同じような以下の言葉を聞きます。

「戦士ならば自分のことは自分でしなければいけない」

戦士というと、軍人とか、遠い存在に思えますが、僕は昔の人の言葉だから現代風に考えれば、

「大人ならば」

という意味なんだと思います。
自分でどうしてもできないことは、集団になってしたり、それでもダメな場合は、そこで初めて他人に頼る。っていう感じですが、今の風潮はどちらかというと、いきなり色々すっ飛ばして、

「やっといてー、よろしくー」

という感じが多いような気がします。
他人に頼るのは最終手段だし、それも自分とは全く違う存在なのだから、当たり前ですが、最初から自分の思い通りに行くはずがない、のです。
ですが感情が先立つと、

「きいいー、なんで私が言う通りにやってくれないのよ!!」

みたいな感じになってしまい、僕は傍から見ていると、

「そりゃ他人だから当然だと思います」

と見ている感じです。他人に過度な期待をしてもダメですし、まずは自分のことは自分でできるだけやってみたらいいと思います。

「もしもできたら、御の字かな」

程度で他人に物事をお願いすれば、うまくいったときには感謝の気持ちになります。自分のために他人が何かしてくれる、ということは当然ではないですし、とても有り難いことなのです。