モノづくり日本…ええー嘘だぁ!



最近、一部のテレビ番組の傾向として、

「日本って凄い技術をもっている凄い国なんだ!」

みたいなところがあります。
別にそれを否定するわけではありませんが、本当に?、と思うことがあります。
仕事柄、色々な業種の大手さんのお話をすることがありますが、日本の有名大手メーカーははっきり言ってメーカーではないと思います。
メーカー、makeなんか全然していなく、どちらかというと、エージェント、わかりづらいならば、メディエーターと名乗ったほうがいいと思うのです。

なにか頼むとき、大手さんのほとんどは、下請けに頼み、その大手さんがちゃんとくる、というのはほとんどありません。
これはモノづくりにも言えることで、実際に商魂にはラベルが貼ってありますが、中身はもう全く違う会社のものです。
確かに、海外もそういうところありますが、自分のところの商品と名乗る以上は、やはりそれなりに自分のところで処理をします。

最近、その道では超大手にお願いすることがありました。
商品の修繕です。大型だったり、専門的だったりして素人修理は難しいので、お願いをしたところ、

「中身は自分たちが作っているものじゃないから修繕はできない。新しい商品を購入してくれ」

と持ちかけられました。
素人修理は無理、というものの、実際には納められた図面や仕様書を呼んで、部品さえあればもしかしたら、というものでした。最初は新しい商品で利益をあげるためだろうと思っていたのですが、もうはっきり言って、図面も読めない人ばかりで、いったいどうなっているんだろう、と思ったものです。
本当にわからないのです。

「もう作った会社がない、自分たちは手配をしただけで名前と販売はしているが中身はわからないから修繕できない」

Σ(・ω・ノ)ノ!
ええー

ですよ。
だったらわかるように勉強するとかそういうのはないのか、というと、

「自社に技術者はもういない。すべて外注でやっているから外注先にそういう人はいるかもしれないが下請けや外注になかったら、たとえ当社の製品でも修繕修理は無理です」

とあっさり…。
結局、自分たちで部品に書いてある番号から製造元を辿っていき、なんとか修繕にこぎ着けた、という有り様でした。

メーカーとしての矜持はないのだろうか、と思うのです。
そしてこういうことが結構な頻度であります。

日本が長い平成不況に陥った原因の大きな要因の一つに、こういった、

「モノづくりをやめてしまった」

というものがあるのではないか、と昔から思っています。もちろん、今でも素晴らしいモノづくりをしている企業はたくさんあります。
しかし大手のほとんどは、ブランド名に物を言わせて集客して、右から左に書類を回してとんでもない仲介手数料で会社の体を成しているように思えます。

何も作らなくなって、何もかもが下請けや外注ばかり。
会社の体は大きいので、利潤をあげなれば回っていきませんから、お客様からもらう料金の大半は書類の流れの中でどんどん削られていき、実際に生産する人たちには驚くほどの金額で提示され、嫌なら仕事回さない、という理論の元になってしまいます。

良い商品を作る生産者、というのは、往々にして商才を併せ持っていないことが多いと思います。
持ちつ持たれつ、ではなくて、一方的に、やれ、という関係はどこかゆがんでいるように思えます、それが商売として正しいのであれば、商業というのは人間と相いれないものではないのかと思うほどです。

僕は陰陽五行論などを重んじますから、その基礎である、自然、というものをよく触れます。

大自然というのは、生産者です。
何かを常に作り出しています。
人間が自然の一部である以上、やはり人間もある種の生産者なんじゃないだろうか、と思うことがあります。

書類は確かに大事ですし、お手配することも、そして、仲介仲買することも大事です。
でもそれって持ちつ持たれつで、やっぱり生産する側がいなければ成り立ちません。

きちんと何かを生み出すこと

これって実は今の日本の社会にすごく大事なことではないんだろうか、とふと、空を見上げながら思うのでした。