自分が正義、だから反したものにはなにしてもよい。なんてナンセンス。



加藤浩次、子供を噛んだ犬に対して『スッキリ』での的を射た発言に反響 | ニコニコニュース https://news.nicovideo.jp/watch/nw6014302

実は芸能人がニュースをやっている番組には当たり良い印象をもっているわけではありません。とくに、加藤さんと坂上さんのニュースらしき番組は見るも嫌なのですが、今回はとても良い発言をされていたようなので、取り上げてみました。

ニュースを深読みしているわけではないので、間違っていたら申し訳ないのですが、上記の記事に対して思う事はいくつかあります。

まず、

犬の飼い主は、犬の行動に対しての責任があることを自覚しましょう。
犬は動物であり、時には人間が予測しない行動に出ることがあります。
子供と動物を接触させるときには、細心の注意をはらい、絶対に目を離さないようにしましょう。

これは犬の飼い主におもうことであります。
ちなみに、僕は犬を飼っており、実は他人の飼っている犬にかまれて結構なケガをしたことがあります。

子女が犬にかまれ、犬を連れ去った親に思う事は、

子供に危険なことはきちんと教えましょう。そうでないならば、危険なことを経験則して生きていく大変さをきちんと教えましょう。

子供から目を離さない。特に普通と状況がことなる場面では、子供の安全は親に依存するところがかなりありますので、子供だけで安全が確保できる、ということはないことを重々承知するように。

いくら大変でも、他人の財産を侵害するような行為がある場合については慎重になるべきです。特に子供がらみなので、気持ちは察しますが、他人から批判されるような行為は、自分の家族にも及ぶ可能性がありますので、軽薄な行為は慎み、まずは大人の態度から入りましょう。

大人なんですよね。精神年齢も伴うように努力しなければ、子供もその背中をみて、自分が正義ならばなにしてもいいと勘違いして大きくなりかねません。

大事なのはご息女ではないでしょうか。ケガは放置して、まずは犬とは何事でしょうか。

まあ、批判的な意見になりますが、どっちもどっちです。

先述したように、僕も犬にかまれて酷い思いをしたことがあります。
用事があり、名古屋に行ったときに、コンビニにつながれている犬にいきなりかまれました。しかも結構目一杯かまれたので、びっくりしました。
外見は可愛い犬で、ブルドックだったと思います。確かに側を通りましたが、綱がそんなに伸びるとは思わず、いきなり脛に噛みつかれました。その瞬間は今でも覚えていますが、痛いというより、なにか熱いコテでも押し当たられたようなものでした。

すぐに足を見ると、あらん限りの噛みつきようで剥がそうとして引っ張っても剥がれてくれません。
周りの人も心配してくれましたが、
「噛みつかれるとダメなので」
と近寄らないようにお願いをして、なんとか引き剥がしました。

考えてもみれば、自分も犬を飼っているので、他の犬の匂いに興奮したのか、なにかあったのでしょう。僕も危険かもしれない、という意識は薄かったのは結果論です。

かまれたところを見ると、良い感じで歯形があり、出血もしていました。
実は時間に遅れるわけに行かない用事があり、このときに、あまり時間に余裕はなく、どうしたものか、と考え、その場に座り込んで、圧迫の止血をしていました。
時間が迫り、仕方が無いか、と思っていたときに、若い女性がコンビニから出てきて、座って止血している僕を一瞥して、そのまま去ろうとしました。

「待ちなさい、貴方の犬が私に噛みつきました」

「そんなことはありません」

のやりとりがまず最初です。頭にきましたが、ここは大人、状況を説明しましたが、納得できない様子です。

「私の犬がそんなことをするわけがありません」

の一点張りだったので、傷跡をみせ、

「このコンビニには監視カメラがあります。そして、かまれたかみ傷を犬の歯形を照合すれば言い逃れはでません。僕も犬を飼っています。もし、このまま警察を呼べは、そのワンちゃんはただでは済まないでしょう。僕には予定があり、絶対に遅刻ができない予定です。でも、貴方が知らん顔して去るならば、僕にも覚悟があります。貴方自身が信じられない話でも、実際にどうなのか、カメラや歯形は如実に語ります。僕には時間がないので、連絡先をきちんと教えてくれれば、用事が済んだ後にまたこちらから連絡します。どうしますか」

とやりとりをして、連絡先を教えてもらい、実際に電話ができることを確認して、お互いに一旦は別れました。

その後、用が済み電話をして、どうするかと聞くと
「会いたくない」
の一点張りでした。

「僕はお金を要求するでも無く、別に見知らぬ貴方に興味があるわけではありません。誠実な謝罪が欲しいだけです。このケガの具合からみて、これから救急病院にいきます。僕も出来るならば、犬を飼っている以上、警察には届け出たくありません。でも態度と状況によっては致し方がないと考えます。もし心変わりがあれば、連絡ください」

と伝え、その場から救急病院にいきました。といっても、自分が日頃お世話になっている大病院ですので、状況を話したら救急に取り次いで貰えました。縫うかどうかは瀬戸際な感じでしたが、破傷風血清を打ち、二、三日の間にまた来るようにといわれ、様子見となりました。
僕は特殊な病を得ているので、他の人よりも慎重にせざるを得ないらしく、ちょっと面倒な感じになりました。
そのことを飼い主に伝え、どうするかは自分で決めなさい、大人なんだから、とお話をさせていただきました。

結局、三日後に病院に行ったときに、謝罪をしてもらいましたが、まあ、今から考えれば確かに信じられないということに対して、よく謝って貰えたな、とその方には感心をしています。もちろん、金銭のやりとりはなしです、僕がそう言ったので。
僕がかかっている専門医のチームのナースさんからは、

「そんなことされたら、賠償請求してもよい。一歩間違えたら大変なことになったんだから」

と僕の身になって憤慨してくれたのは嬉しかったです。

今でも噛み痕はあります。
でも、思うのです。

「ちゃんと大人の対応が出来て、良かった」

と。
確かに甘いですし、人によっては、警察と保健所に届けてしかるべき処分、と思うのですしょう。
僕もそっちの選択の方が正しいのかも、と、ふとよぎります。
でも、これでよかった。

感情にまかせて行動しなくなって良かった、その時の自分にも、未来の今の自分にも。

と思うのです。
それは自分の飼い犬をなでているときに思うのです。
死んで閻魔様の前に立った時、自分がきちんとできたことの一つだと胸を張れます。

さて、ニュースにある方々。
貴方たちは自分が死んで、死後の裁判を受けるときに胸を張れますか、ということなのです。