稲妻はサタンのシンボル、ならば、日本の神道はサタン崇拝…ではない。





みなさん、こんにちは。

ちょっと今回は真面目な記事、というか、いつも真面目なんですが、批判的な記事を書きたいと思います。

皆さんは、YoutubeのEdenチャンネルをご存じでしょうか。

一時期、
「この地球には山や森は存在しない」
という動画で有名になったチャンネルです。

その中で、以下の動画があります。

https://youtu.be/GNcb313tiyE
「イルミナティのシンボル 稲妻マーク」

と銘打たれた動画で、内容は見て頂ければ分かりますが、基本キリスト教原理主義の考えで断罪をしている動画です。

このEdenチャンネルというのは、素晴らしい内容もたくさんあるのですが、いかんせん、キリスト教原理主義の色が強く、自分の考えをしっかりと持っていないと、思考回路が持って行かれるかなり劇薬的な動画であり、キリスト教やオカルトに耐性がない方はオススメできません。ただし、神秘学などをよく学び、キリスト教に折に触れている方には、大変な勉強になるチャンネルです。

「私たちの考えるイエス・キリスト以外は、全て悪に通じる道である」

という結構な考えの方が動画を構成しており、場合によっては大変間違った情報を流しているときもあります。
上記にあるような、「この地球には山や森は存在しない」という話一つ取ってみてもそうですが、
「そんな考えもできるかなぁ」
という程度で見ていないと、
「うわあ、新境地が開けた。凄い事を知ってしまった」
と、ブレインウォッシュされてしまいます。
言っておきますが、「この地球には森や山は存在しない」という動画の内容は、ものすごく非科学的な思考であり、「似ているから一緒です」というかなり強引な理論の元、構成されているものであり、はっきり言って、間違っています。
もはや、地動説くらい違うと思います。
しかし、なんとなく科学的な根拠が示されているような感じがしますし、ビジュアル的な要素が強く、しかも断定的でかつ今まで無かった視点からの考察であり、科学的にものを考える、ものを見るという癖が無い人には、それはそれはショッキングだと思います。

このEdenチャンネルの問題は、
「大勘違いの中に、本当に真実が一部混ざっている」
ということなのです。
「全部が勘違いか、嘘」
ならばわかりやすいのですが、
「部分的に本当」
という、知ってか知らいでかの状態から、
「全く参考にもなりません」
と言い切れないところに罪があると思います。

その一例として、表題に上げているような話があります。
繰り返しますが、

https://youtu.be/GNcb313tiyE
「イルミナティのシンボル 稲妻マーク」

は日本人にとって、それが一番わかり易い事例の動画といえるでしょう。
この動画の中に、日本文化の象徴でもある「神社の鳥居の紙垂」がよく出てきます。

紙垂とは、しめ縄の間に挟まれている、ギザギザの垂れた紙のことです。
紙垂の由来や詳しい説明は、他のサイトに任せるとして、どうしてこれが出てくるのでしょうか。
これはオカルトに詳しくないと、よくわからないと思います。

ここからの話は初心者お断りですので、そもそもキリスト教のことをよく知らない人、旧約聖書とか新約聖書とか知りません、ヨハネの黙示録とかなんですか?、という方はまずそちらの内容を頭に入れてからお願いいたします。
そして、様々な解釈がありますので、これは僕の一解釈に過ぎないということもお願いいたします。

まず、神の敵はサタンという考えがあります。
どうしてそうなったのか、サタンとルシファーの詳しい話は省略します。
ただ、聖書にあるように、ルシファーが堕天するときに、天から堕ちていく様が、雷のようであったため、サタンを崇める連中は、雷光のマークはサタンのマーク、サタンのシンボルの一つに雷を使用している、ということであり、それが世界中で見られる不義である、という内容です。

まあ、聖書を読んでいれば、なるほど、その一説の記述は出てきますし、そういうふうに使うのはわかりますが、その世界中の不義の中に、日本の紙垂が数多く紹介されているのはいただけないのです。

確かに、

「唯一の神、そして神の息子であるイエス・キリストのみ本物であり、その他は悪魔が化身したもの」

という原理主義的考察では、日本の八百万の神はすべて邪神、ということになるのでしょう。もしそうならば、あまりに表面的な本当、本来の神道を知らない話ではありますけど。

閑話休題。

紙垂というのは、稲妻を表しているものであり、邪悪なものを祓うものであるため、

「サタン=雷=紙垂」

という変な等式が成り立ってしまい、よく文化も祀っているものもわからずに

「神道=サタン崇拝」

という極めて短絡的で浅学浅慮の話になるのだろうと思います。
非常に特殊な神道というか、日本の宗教で、らしきものがあるにはありますけど(鞍馬教など)、実際に昔からあるものについては、歴史を知っていればそんな話にはなりません。

もし、雷がサタンだと言うキリスト原理主義者がいるならば、旧約聖書の出エジプト記をよく読んでほしいと思います。神はよく雷を使うことが記されているからです。
神道はサタン崇拝という輩には、旧約聖書の神は、イエス・キリストの父ではないと、高らかに公言してほしいものです。

こういった非常に歪んだキリスト教原理主義というのは、米国の社会にすごい勢いで浸透していっているのでないのだろうか、と思うところもあります。

つい先日、ドリーン・バーチュー先生が、
「今までのことはすべて悪魔の仕業で騙されていたから、そういうのは一切やめる」
http://doreenvirtue.com/2018/08/08/an-update-on-doreens-changes/
という話が出てきました。

確かに、ドリーン・バーチュー先生の一部は、「うーん」と考えることもありましたけど、中には素晴らしい話もたくさんあり、それ、全部悪魔の仕業で括って良いのかな、と思うところもあります。

本当に?
だって、僕も天使を見たことがあります。
それはひとえに、そのときにはまだ日本では名前すら知られてなかったドリーン・バーチュー先生のおかげだったこともあります。
彼女の天使への功績は大きいのです。
そんな、過熱する天使信仰のためにウリエルを堕天させたいつの時代の法王庁なんだよ、みたいなことをさせているものはなんなんでしょうか。

僕はドリーン・バーチュー先生に言いたいことは、ちょっと待ってください、ということです。最近、なにか過激な思想のキリスト教に触れませんでした?、と確認をしたいです。

過激な思想、原理主義的思想、というのは劇薬であり、自分の思想の一部と合うと一気に侵食してきます。
そして、デトックスをしない限り、自分の中に潜んでいて、何かの拍子やきっかけで顔をでしてきて、大声で心の中で叫びます。

「こっちが正しいんだ、だから、あいつらは間違っている。正しいことを言うんだ、教えてやるんだ」

と。
さなかにいるとわからないもので、今までの自分をすべて否定してやり直そうとします。
今まさに、ドリーン・バーチュー先生の状態がそれなのです。

なので、僕がドリーン・バーチュー先生騒動に言えることは、
「ちょっと間をおいて静観しましょう」
ってことですね。