あらためてバスタードを一気読みして。


(平成30年11月13日(火)訂正)

機会がありましたので、改めてバスタードを一気読みしました。
萩原一至さんのコミックですが、漫画家の間でも評価は高く、この30年のコミックの歴史では絶対に落とせないと思うものです。

僕が読み始めたのは、中学生くらい。
既に連載は始まっていましたが、週刊ジャンプの頃からで、まだ終了していないコミックの一つです。

内容は超絶美形完全無欠宇宙最強の魔法使いのダークシュナイダーが、魔法バトルを繰り広げられるものですが、レイアースとは異なり、ダークでエロで、スピリチュアルなものです。
最初の路線から現在ではずいぶんと異なります。

ダークシュナイダーが世界征服を企む

剣と魔法の世界だが400年くらい前までは、科学が発達していた我々の世界

世界が変わった「大破壊」と邪神アンスラサクス

アンスラサクスとダークシュナイダーの関係

大破壊を引き起こした邪神アンスラサクスとその一団との戦い

アンスラサクスの正体と大破壊の真相

本当の敵はアンスラサクスを媒体とした天使たち

天使を使わした天上の神こそが本当の敵

神の敵である悪魔との関係

魔界に取り込まれる世界

ダークシュナイダーと悪魔たちの関係

ダークシュナイダーと悪魔と天使との関係、そして多くの謎


ざっと主観で書き出すだけでもこれだけの話があり、スケールが超デカい上に、読み応えありすぎなのに、CGかと思うトーン貼りと職人技と神業になった画力の書き込みがあり、読む側を選ぶ作品でもある、と言えます。
上の流れはあくまで主人公ダークシュナイダーだけであり、この取り巻き、仲間や敵、その他色々な人物も多く絡んできており、正直、

漫画界の「グインサーガ」

じゃね、と思うくらい、

「ジェットコースターエロオカルティックスーパーテクニックデンジャラスウルトラコミック」

でありまして、

・・・書いてきて、自分が感想言うのもおこがましいかも、と思うものでした。
内容を特に知らない人には、全巻読んでこーい、と言いたくなるものであり、途中までしか読んでなーいっていう人は、書店に急げよ、って言いたくなります。

で、今回、何が言いたいか、というと、作者の萩原一至さん、大丈夫かいな、という心配と、今更ながら娘さんご誕生おめでとうございます、幸せに、という話です。

なんで大丈夫か、というとですね、内容がバリバリ新約聖書に沿っていまして、そういった、リアルオカルト(※オカルトは恐怖ということではなくて、隠された知識の意味であり、普段は知ることが出来ない秘密の知識を指していた)の話なんですね。
で、オカルトというか、今時の用語で言うと、スピリチュアルなものを使うとなると、実は耐性が必要じゃないかと思います。

特に、カバラ関係の魔術に通じるものは、精神に耐性がないとヤバいです。
カバラ系は表面をさらっと流したものや自己解釈、感覚の解釈だけで説明をしているものがほとんどで、市販されている本で、カバラの入門、というか、カバラの話をちゃんとしているのは、僕が知る限りでは極々数冊程度であり、あとは、カバラを知ったつもりで、生命の木などを自己流解釈で説明している話がほとんどであり、言ってみれば、

「放射性物質を自分の決めた感覚的安全基準で取り扱っているようなもの」

ばかりです。
断言しますが、カバラはマジで触れる前に気をつけるものであり、取扱中は絶対に気を許したりせず、確認をしながら取り扱う必要があります。

不用意に触れるとケガをします。

分かる人に言うならば、登っているつもりが下っている流れ、になりどんどん、カバラの迷宮に入り込み、精神を病んでいきます。
もちろん、そういった知識を基に構築されている話、例えば、天使というか、御使いの話だったりするものも同様で、形、見た目が変化しているカバラであるものは間違いないです。

知識の面でも相当なものが必要ですが、聖書系スピリチュアルに触れるには、僕はこの人たち個々の耐性が必要かと思います。
スピリチュアル全体に言えますが、
「聖なるものに触れるには、生来生まれ持った耐性が必要」
だと思います。
例えば、聖櫃に触れ得る人は血で定めがあるように、
「誰でも彼でも、一定以上の聖なる知識、物に踏み込んではならないし、その範囲と深さは個々の資質による」
と思うのです。

どんなに用意をしていても、自分が持って生まれた資質がスピリチュアルの深奥に耐えるだけの耐性を持たなければ、精神が病んでいくと思います。

これは現代の

「スピリチュアル病」

でもあり、あまり指摘する人はいませんが、無頓着に聖なるものに触れた時、そのしっぺ返しは凄まじいものであり、精神の安定性を欠いたり、時には考えられないような不運や凶運にさいなまれたり、ともかく普通の状態におられません。

例え、資質があったとして、やはりよく知識がないまま、また無頓着に触れれば、同じようになりますし、心の姿勢が常に問われますので、間違った姿勢で相対すれば、知識は現実の刃となって自分の身をえぐっていくでしょう。

カバラの知識は聖なるもの

であります。
日本の祝詞も同じであり、自分が好き勝手に解釈して、好き勝手にいじって、好き勝手に使って良い物ではありません。

聖なるものを弄んではいけないのです。
その旨、聖書にはきちんと書かれているのです。

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ペテロの第二の手紙より

2:21

義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。

2:22

ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。
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マタイによる福音書
(山上の垂訓)

7:6

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

7:7

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

7:8

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
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萩原一至さんが、色々と御苦労をされているのはわかります。その中で、僕が特に心配をしているのは、「神のものを扱う話」なので、相当に精神的負荷がかかっているのだろうな、思うのです。
萩原一至のおかげで、天使や悪魔のことを知った人は決して少なくないでしょう、スピリチュアル的に見れば大変な偉業です。
ですが、あまりに精神的に負荷が強いときには、そういうものから少し離れることも大事だと思います、
また、そういうものと対峙するときは真摯な気持ち行えば、きっと体の辛さも異なることでしょう。

皆さんにも言いたいことは、まさにこれで、

耐性がないと思ったら、少し触れるスピリチュアルなものを減らした方がいい、深さを調節した方がいいという話です。

私たちが肉体をもって生き、肉体を持って死ぬ、そのこの世界、主物質界には知識にしろ、感覚にしろ、ちゃんとしたアクセスの経路があると言うことです。

自分がそういうものに耐えられるかどうか、ちゃんと見極めて、分を持って接したら、きっとそれらは素晴らしいものを授けてくれると思います。

バスタード、完結すること祈ってやみません。

そして、このコミックは、コミックの域を超えて、ある種の芸術作品です。
本当に素晴らしい。

萩原一至さん、ご家族、関係者の皆さんに、心よりエールを送ります。
すばらしい作品をありがとうございます。


※平成30年11月13日(火)訂正
ダークシュナイダーをダークシューターと打ち間違いをしておりました。
お詫びして訂正いたします。
ところで、ATOKを使うと、こういった予測変換をベースにした打ち間違いをすることが多いと思います。
分かるんですが、収録語が少ない上に、非常に分かりづらい予測変換間違いを推しで来られたら、信じている側はわかりません。
改めて、ATOKは

「自分たちの信じている日本語がすべてだという傲慢な日本語変換であり、GoogleIMEの方がずっとよっぽど謙虚で勉強、進化している」

と、確信が持てました。

予言しておきますが。
このままだと、ATOKは滅びるでしょう。