忘れてもらえない私たち。

スマホで写真を撮っていて、ふと画面にエラーがでた。
「SDカードに保存ができません」
なんだろう、と、調べると、何のことない知らないうちにSDカードがいっぱいになっていた。
主に写真がたくさん入っている、最近のカメラは画質が良いため、サイズも大きくなるわけで、そうなるといっぱいになるのは早いものだな、と手に取ってみた。

自分のパソコンにバックアップをとって、また新しくフォーマットをしなおしてスマホで使う。
こんなことをしている人は世界中にたくさんいるのだろうけど、僕たちの頭の中にはSDカードのような記憶装置はない。
当たり前だけど、頭の中がいっぱいになって、何かを取り替えたり、フォーマットをしたりして再利用、ということもない。

僕たちは忘れていく生き物だから。

だけど、世界中にあるスマホの写真は忘れられない。
もちろん、画質とかあるし、本体が持つかどうか、という話もあるけれど、結局、クラウドのどこかに保存されているだろうし、削除されるとしても、いつなのか僕たちには知られない。

僕たちの記憶も同じで、何時消えるのかわからない。
スマホの写真だって、何時消えるのかわからない。

ふと思い出す事だって、人間にあるのだから、スマホにだってある。

「去年の、何月何日の貴方」

みたいなものが出てきて、ぎょっとすることもあるだろう。
そう、あれは、僕たちがふと思い出す記憶に似ているのかもしれない。

僕たちは、自分の記憶や記録を好きに消去できないのではないか、と思う。

死んだら消去してくれ、なんて話もあるけど、そんなの本当に実行されたかどうか自分が死んでみないと分からないし、死んでから分かっても手遅れだろう。

結局、私たちは地層と同じで忘れてもらえないのかもしれない。
喜しいこと、怒りたいこと、哀しいこと、楽しいこと。
全部記憶されているのかもしれない。

私たちは、忘れてもらえない存在なんだ。

と今もスマホを手にしている。