2060年に行ってきました。意外と未来はユートピアなディストピアなのかもしれない。


今回もこのCD音源で未来に行ってきました。
いや、さすがにCDの威力凄いなぁ。
今までのヘミシンクとは随分違って、結構簡単にできるのが凄いと思います。
今までは音源はデータベースでしたので、ビットレートの関係もありCDよりも素直に効果が得られにくかったと思われます。

今回は、以前よりもさらに未来。
2060年を目標にヘミシンクを聞きました。

相変わらずのI/Thereの渦巻き。
その中に飛び込んでいく感じです。面白いのは、向こう側が慣れてくると、さまざまな前処理を省略してくることです。
たとえばヘミシンクでは、今の状態の煩わしいことに捕らわれるのを避けるためにエナジーコンバージョンボックス(エネルギー変換箱)を使う技法があるのですが、今回はそれをすっ飛ばしていきなりI/Thereの渦に飛び込みです。

いいのかな、と思いながら任せておきます。

結構真っ暗な空間で、なんとなく感覚的に覚えが。
ああ、これはフォーカス15だ、これは。
圧迫感があって、身動きが取れるようなとれないような不思議な感じ。

「どの時代にいってみたいか」

ノンバーバルコミュニケーションです。
今回のガイドは言語型じゃないようで、結構、実務主義的な感じがします。

「そうだなぁ、この前は2038は切りがよくなかったしできる限り未来に行きたい」

「だいたい焦点が50年くらい先までなので、そのつもりで」

「今年が2017年だから、2060年くらいで」

「あまり未来だと見てもわからないことが多いですよ」

そのままフォーカス15から移動。

見てもわからない?、確かに30年前の人が今の時代を見て、スマホやタブレットというものがわかるかどうか怪しいし、モノとして理解できても、呼称が違うから会話を聞いていても、わからない単語がたくさん出てくることを考えると、確かに、わからない、となるのかもしれない。

2060年の世界。

最初に自分がベンチみたいなところに座っているのは分かりました。
そして、眺めている風景は、自然の森。
ともかく深い森ばかり…かと思いきや、なにか透明なドームがあります、かなり巨大なドームがいくつか見えます。

はっきり言って、わけわかりません。

「ここはどこですか?」

そう質問すると、俯瞰になっていき、どんどん空高く登っていきます。驚いたのが、ほとんどが森、というか、深い緑になっています。
そして見慣れた地形が。
日本です。
宇宙から日本列島を眺めているくらいの高度になりました。その姿は今と形は変わりませんが、列島全体が森で包まれているような深い深い緑色になっています。
街がほとんど見当たりません。
名古屋、東京はなぜか記憶にないと言うか見えません、福岡、太平洋側にちらほらと都市部なのかな、工業地帯なのかな、という緑色ではない人工的な銀色の地帯が見えます。

すっと風景がもとに戻ります。
今回のガイドは本当に言葉で語りません、しかしながら、どうしてこうなったのか
それを説明してもらわないとなにがなんだかわからないです。

「すいません、こんなに深い森ばかりですが、どうしてこうなったんですか?」

しばらくして、

「この時代から数十年前、環境が汚染され破壊された期間があった。かなり深刻な破壊状況だったが、当時の人類はその影響を甘く見積もっていたばかりか、数年で回復するだろう、と甘い予測のもとに過ごしていた。ある時から、このままだと地球上の自然は復活しないばかりか、永遠に失われるかもしれず地球全体が廃墟となる恐れが出る事態になった。人類は身をもって、自分たちが破壊した自然は自分たちで保護をし復活させなければ、やがて自分たちも滅亡の道を歩むことに気がついた。だが、自然の痛みは激しく、人類は自分たちの生活を制限してもなお、自然が復活するかどうか瀬戸際まで来ていた。そのことにようやく気が付き、自分たちの生活空間と引き換えに、自然を蘇生させる試みをして、ようやく成功し始めたのがこの時代だ」

「なるほど。遠くに見えるドームには人が生活しているのですね?」








「その通りだ。自然のダメージはとりわけ植物に被害をもたらした。砂漠化が進み、気候が変わり地形までもが大きく変化したのだが、人類は植物の激減については無関心だったし、関係性があることすら気が付かなかった。自分たちが飢えはじめ、自分たちが暮らしにくくなっていき、植物が珍しくなってきて初めて自分たちの生命コロニーは植物も含んだ一体化したものだと気がついた。だが、大きな木はなくなって、森も林もなくなって久しく、砂漠と人工物ばかりの期間があった。僅かに残った植物たちを保護しようとしたが、人工的な管理では限界があり、無理があった。そこで人類は逆転の発想をして、自分たちの生活空間をある種閉じた状態にして、植物たちに自分たちの土地を返した。植物たちは人間の干渉がなくなり、自分たちの力で大きく根付いていった、文字通り。いまでは植物の星に戻りつつある。日本に限らず、ユーラシア大陸の西側も植物が覆い茂っている。砂漠は君たちのいる時代よりも少ないくらいだろう」

「それだけ豊かならば、人間の暮らしも安泰ですね」

「それは違う」

「どうしてですか?」

「植物たちは人間に媚びなかった。つまり穀物など、人間が必要とする植物はそんなに繁茂せず、強い木々が覆い茂っていったのだ。人間自体、開墾の文化が途絶えて等しく、また資源の使いすぎの反省や、新種の病気の理由からドームから出て生活をすることが困難になってきている。文明的な生活はあのドームに限られるようになっているのがこの時代だ」

「人類はかえって生活が限られるようになった?」

「その通りだ。そして、出産制限などもあるし、食料をはじめ、物資などの配給制度もある。復活した自然は、この時代の人類には手にあまるようだ」

聞いたことがある。

その昔、大昔、縄文時代の日本では、岐阜県あたりを堺にして、関東平野一帯まですべてとても古い大きな木々に阻まれて過ごしていたと聞く。今では考えられないとてつもない木々、樹齢千年近くの大木が森をなしていた頃の人類は、村落を作って暮らしていたらしいが、動物や自然の脅威に常に晒されて暮らしていたそうだ。
鉄などの文化が入ってきて、日本人は関東を西から開墾した。もちろん、東日本から渡来してくる一団もあったため、それまで接触ができなかったというのもあるらしい。
縄文時代の日本は、森の脅威、という今では想像すらし難い場所で生活を営んでいたらしい。

それが、未来の世界に再び起きている。

なるほど、まったく想像だにしない世界が広がっているわけだ、と思っていた。肝心なドームの中の人間といえば、たしかに子供らしき人影はあまりないし、賑わっているんだろうな、と思うのだけど、自分の目の前を人は通り過ぎるけど、昼間に限らずかなりまばらな状態だ。
よく見れば、自分の座っているベンチから手すり、それから床材まで、木材だ。人々は特にどこかに移動する際には歩行が基本みたいだし、今の時代よりももっと細い感じなっているくらいか。
服も奇抜ではないし、特に未来的といった感じではないが、ちょっと薄い感じはする。それと車が走っている感じは全然しない。

「不思議だな、移動はどうやってしているのだろう」

また地下通路でもあるのだろうか、と思ったが、各ドームと連絡通路はあるみたいだが、特にそういった感覚のものではない。
しかしドームは大変巨大で、街の2つ3つは軽く収容できるくらいだ。

すっと人影が消えたような感じがしたので、そこに目をやると、水飲み場のような台がある。四角柱で上になにか細長い銀色のそれこそ蛇口のようななにか変なものがある。

その柱の高さはだいたい1m位で、そんなに高いものでもない。ただ、なにかその周りに四角で書かれた白線があり、柱を囲んでいた。
なんだろう、と思い、見ていると、その柱の前に人が立った。そのまま銀色のところに手を触れると、なにか少し光ったかと思うと、そのまま消えた。

「え、あれが移動手段なの?」

「君たちから見ればすごくSFな世界だと思うが、この時代には当然に使われている技術(ノンバーバルで伝わってくる)」

原理が知りたい!
と思ったが、量子の世界の運動を図で見せられたよなうな気がするが、いまいちよくわからなかった。ちなみに、見たことがない原理図だったような気がする。量子テレポーテーションかと問い合わせたが、大雑把でその部類だが、厳密には異なる作用を利用していると返事があった。


いずれにせよ、ここで時間切れ。
仕方ないので、C1に帰還。

今回の冒険はこれまで。


※C1とは、Consciousness 1のことで、覚醒状態のこと。今の状態。



P.S
久しぶりに絵を書いたのですが、ボールペン画というのは面白いですね。