躾、という漢字には美しい姿勢という意味が含まれています。なるほどなぁ。


(非公開ツイートになったためURLは削除しました)
(↑確認したら、非公開設定になっていました。あれだけRTされれば仕方がないでしょう。ツイートの内容はドライブレコーダーで、住宅街を走っていたら、子供が飛び出してあわや惹かれそうになる動画でした)


このツイートを見ていて、今どきもすてたものじゃないなぁ、と思うのです。
目にした方も多いと思いますが、何も確認せずに飛び出してきた子供を、あわやのところで回避する動画です。そして、その後、母親が車を運転する運転手に一礼をして、子供にかけより平手打ちをすることです。

体罰を推奨容認するわけではありません。

しかし、躾ということには賛成です。
こう言った、本当に危ないことやしていけないことに対して真剣に怒る親というのは少なくなったと思います。いいとは思いませんが、しかしやはり本当にダメなことに対しては真剣に怒ることも必要です。
そういうことができること、そして、躾をきちんとしてもらえる子供、というのは本当に幸せです。

次にこの動画です。
僕が心から尊敬する一人、大愚和尚さんの説話です。


まずは動画や音声を見て聞いてから、この記事の続きを読んで欲しいですが。
つまりネタバレがあります。

(続きは↓)















































この大愚和尚の○○は姿勢に関することです。

大愚和尚の言うことは確かに正しいと思います。そして、人間には正しい姿勢が必要だと僕も感じます。
たとえば躾と深い関わりがあるスポーツの世界、特に「○○道」とつくものに関しては、型というものが決まっており、洋の東西を問わず、きちんと挨拶から構えまで姿勢が厳格に決まっています。
これは陰陽道の反閇もそうですし、その源となった禹歩もそうですし、そこから発展した舞楽や能も茶道もそうです、そういったいわゆる聖なることについては、「作法」というものが決まっており、その中には型があり、型は姿勢から始まります。
あまり知られてませんが、正しい姿勢には神が宿ります。

躾、の字は、身が美しい、と書きます。
この漢字の語源を、漢字源で調べてみると少し驚きました。




和製漢字なのですね。
こういうところは昔の日本人のセンスは素晴らしいと思います。
漢字の発祥である中国では、翻訳すると「訓練」となってしまい、これは少し意味が変わってきます。

美しい身というのは、僕は容姿端麗であるということよりも、その所作が美しい、ひいては姿勢が美しいということだと思います。

美しい姿勢、というのは、練習しなければできません。

背筋を伸ばし、きちんと胸を張り、あごを引く。
当たり前と思いながら、意識していないとできません。練習していくにつれ、やがて自然にできるようになりますから、だらん、という身体の力を抜いた弛れた状態ではできないことだと思います。

さて、今のご時世、巷で正しい姿勢をしている姿を見ることは稀です。
この正しくない姿勢が蔓延している一つにスマホの普及があります。スマホが悪いとは言いませんが、自分以外がスマホをしている姿を見たことがありますか?

思い返してください。
スマホを見ている、操作している人は、背筋が伸びていましたでしょうか、胸を張っていましたか、その姿は美しい、と感じるものでしたでしょうか。

僕は少なくとも、そういう格好でスマホなどをいじっている人を見たことはありません。
それが即イコール躾がなっていない、とはいいません。
しかし、躾の第一歩は、まずは正しい姿勢から、と思うのです。

なっていないなぁ、と人に思う前に、まずはスマホから手を放して、自分の姿勢を見直してみましょう。そうすると、視界が広がり、色々なことが見えるようになります。
できれば、スマホを触りながらでも正しい姿勢ができれば最高なんですけどねw

これは瞑想するときにも有効です。
瞑想できない人のほとんどがその姿勢に問題があります。
また禅でも姿勢は非情に重んじられますし、まあ、禅に限らず、いろいろなことについても姿勢は始まりであって核心であったりします。

まあ、躾は大事、姿勢は大事、と、まとめてみればなんのことない話ですが、今の私たちって本当に躾されている人なんでしょうか。

ちょっと考えたいな、と最近の世の中を見て思うのでした。

P.S.

僕はレイキを行うにも正しい姿勢が必要だと思います。