逃げ口を与えるのが大人、逃げ口に逃げ込まないのが大人。

人にズバリと質問をする時、もしくは、答えたくないであろう質問に対してどうしても質問をする場合、必ず逃げ口を用意する。

簡単な例として、

「こっちにする?、そっちにする?、それとも考えておく?」

という具合だ。たいていはもっと事は複雑で、もっと質問もこんなに簡単ではないのだが、この場合の逃げ道というのは、考えておく?、というものである。

大体、自分にとって都合がよろしくないときは、たいてい、この考えておくにみんな逃げるが、あまりそれは賢くない、というか、卑怯でもある。

もちろん、逃げ道を用意しておいて、という反論はあるのだろうが、そこに安安と逃げこんでしまうとは、なんとも情けなくはないだろうか。
むしろ、堂々とYes/Noと答えたほうがよっぽど好感が持てるというものだ。

批判的ではあるが、ゲイの人に限ったことではないと思うが、人間大抵まずいことがあるとこの逃げ道に入り込んで洋々としている。その姿をみると、自分が相手に対して甘えていることすらわかっていないのだろうな、とがっかりしてしまう。

事実は事実なのだから、正々堂々としていればいいのだ。
それで相手がどう反応するかなんていうのは、予測はできてもわかろうはずはない。
予測はあくまで予測であり、事実ではないのだ。
それで相手がどう反応しても、自分はきっちりと答えたことに対しては、堂々としている方がよっぽど大人であろう。清々しいというものだ。

残念ながら、難しい質問をすると、このYes/Noというのをはっきり答える人はすくない。
もちろん、いろいろな事情からはっきり答えたくない、というのはあるのは十分承知だが、そこではっきりとしていると、気持ちのいいものだ。もちろん、逃げ口に逃げるということであれば、それは甘えということをしっかり理解して、理由をつけくわえるなど、大人な対応ができると思うのだが。

答えたくないであれば、答えたくないと、自分で逃げ道をつくるのも手でもある。
これは甘えではない、自分で切り開いた道なのだから。

相手がかけた情けに乗じていることも知らず、飄々と逃げ込んでいる、そんな姿を見ると、なんとも情けない。

大和魂はどこへ行った。