イケメンとイイオンナ。

世の中にはいい男、いい女というのは確実に存在している。
もちろん、人それぞれの見方があるので、
「あの人、イケメン」
っていうのが、万人に当てはまるとは思えないが、正直言えば、
「あの人と付き合えたり、寝れたりできれば、それはもう幸せ」
と、思う人は必ずいる。

ツイッターではほとんどがゲイの人をフォローしていたり、フォローされていたりしているので、
そういうのがよくある。
ああ、この人と寝てみたいっていうレベルから、付き合ったら幸せなんだろうな、というレベルまでたくさんある。

小生はゲイなので、男性が好きなわけではあるが、ここで、どう考えてもイケメンとしか言えないだろう、という「とんでもなくハイクラスなイケメン」もいるわけだ。
まあ、この人はゲイビ男優でもあるのだけど、それでも一緒にいる時間が少しでもあれば、という気持ちは否めない。

数多イケメンを見ていると思うのが、

「イケてる人は決して最初からそうではなかった」

という事実である。彼らは彼らなりに努力をして、今の容姿がある。
どうみても努力家が多い(だからといって、性格がいい、というわけではない)。
つまり、何がいいたいか、というと、努力なくしては、イケメンもイイオンナもいないわけである。

仮に怠惰な生活をおくっていて、イケメンたちの生活とは全く逆の生活をするとする。
それでイケメンになれるかというと、そうではないと常々思う。
彼らはそれなりの努力をしているから、そうなったわけで、もともと以て生まれたハンデを努力によって克服しているのだ。
もちろん、イケメンになるための努力という限定ではないのかもしれない。
キラキラ輝く高校球児のように、「野球に打ち込んでいる」のだが、その波及効果として、「キラキラ」しているように、イケメンもそれだけの努力に絞っているわけではないのだろう。

イケメンやイイオンナというのは、作られた物なのだ。
天才ではなく、秀才なのだ。

よく考えてみれば、イイオンナというのも作られた物だ。
女性が「イケテル女」と男性が「イケテル女」というのは、天と地ほどの開きがあるのはよく知っているのだが、いづれも、努力が必要だ。

女性がイケテル女っていうのは、男性社会の中でも、恐れず発言をし、恨みをかおうがくじけずてきぱきとこなすだろうし、男性がイケテイル女というのは、それこそ、どこかの男性に絶対服従の面持ちで弟子入りして教え込ま得られなければならないだろう。

「イケメンになりたい」
とおもうならば、一番手っ取り早い方法は、「何かしらに努力をすること」だ。
そういうのが、自分をキラキラさせ、人を惹きつけてやまない魅力へとなっていく。

エステや、シワ取りクリームをつかって外見だけ磨いても、決してイケメン、イイオンナにはならないであろう。

あなたは「なにかに努力」していますか。