集中すると邪魔が入る
集中すると、邪魔が入る。
そんなことはよくあることだ、と思うのですが、あまりに度がすぎると問題になってきます。この問題は、メンタル的なもの、強いては様々なものの損失にも繋がるもので、タイミングの悪い、ということと合わせて、問題になっている人は多いのではないでしょうか。
人が夜型になっていく理由の一つにこれがあります。
ホモ・サピエンスは夜型だったので、他の人種が休んでいる時に活動ができて征服ができたので繁栄したという意見がありますが、形而上学的な理由に答えていません。
どうして、集中すると邪魔が入るのか。
まず目に見えるもので、一度身近な人に尋ねてみました。
たとえば、どうでもいい時には何もないのですが、集中し始めると、やたら話しかけてきたり質問したりすることが続いたので、
「どうして集中し始めると、そわそわするのか」
と聞いてみると
「いやなんか、聞いていい感じの空気がでてるから聞いてみた」
と驚きの返事が返ってきました。普段のリラックスしていた状態では聞きづらい雰囲気、集中し始めると 聞きやすい雰囲気、とはこれはどういうことなのか、と考えました。
他にも、仕事でもよくあるのですが、気を散漫にしていると暇な感じがあります。
ところがそういう邪魔には入らない環境になったと思って、何かに集中を始めると、もう手につかないくらいの電話や来客、その他、色々なものが降りかかってきます。
意外とこういう人は多いのではないでしょうか。
先ほどの夜型の人の話ですが、僕も放っておくと夜型の生活に移行します。
これは夜更かしをしたくてしているのではなくて、夜は邪魔が入らない時間ができるからです。
活動しているものが減り、電話やメールや来客、その他色々な集中に必要な心をわずらわすものがとても少ないからです。
特に深夜は邪魔が入らず、集中しやすい。
のです。
実は、集中力、というのは一種の才能ではないか、と思うのです。
つまりまったく集中できずに、ただ漫然と行動している人の方がかなり多いのでは、と思うことがあります。
物事に集中するというのは、細切れにできることではありません。一旦集中の糸を切られると次に集中するまでに時間がかかります。少なくとも僕はそうです。
ところが、集中力が少ない人、ない人からすると、細切れにしてもすぐに回復するものだと思うみたいで、ガンガン邪魔してきます。意図的ではないのですが、聞きたいことがあればすぐに聞いてなにが悪い、集中しているならばまたすぐに戻ればいいじゃないか、みたいな感じらしいのです。
そんなわけにはいきません。
インスピレーションや集中というのは、本当にその時にきちんと掴まないと、なかなか戻ってきませんし、下手打てばもうダメなのです。
ところが邪魔する人は意図的にはしていないので、そうは思ってくれません。
集中することが大事なことがわかっている人とは、決定的な価値観の差があるわけです。
「なんで聞いたらダメなんだよ!」
「後からでもできることは、集中している時には無理です」
「そんなのわからないんだから、仕方ないだろ」
という会話を聞くことがありますが、如実ですね。
そうなんです、集中することができない人、少ない人には、
「それがわからない」
のです。しかも、勘違いして、
静かになった=接してもいい感じ
とまったく逆の状態が発生してしまいます。
そうなると、集中している人からすると、
「もういい、困る」
となって集中できる、邪魔の入らない時間帯を探し始めます。
そういった環境と時間というのは、深夜がすごくいいのです。
つまり周りが寝静まっている時が一番邪魔されないので、どうしても夜型になるのです。
集中ができる
というのは、環境も含め、とても才能があり、そして贅沢だと思います。
考えてみてください。
タイミング悪い+集中しなければいけないのにつどつど邪魔が入る
これでいい仕事や成果を出せ、と言われても無理です。
集中力は、貴重な才能で、しかも脆いのです。
邪魔されれば、怒りを持つのは当然だと思います。
どこかの質問箱みたいなサイトでみましたけど、集中すると邪魔がはいるのはなぜ、という答えに、
「今まで気にしていなかったことが気になるから」
「あなたがやらなくてもいいことがやらなければいけなくなったから」
みたいな、トンチンカンな回答がたくさんあります。
そうではなくて、
「集中すると邪魔が入るのはどうしてか」
という答えに、僕は、
「集中すると、その人はある種のパワースポットになるから」
という回答を提示します。
どういうこと?
と思うかもしれませんが、集中している人に、他人や運は接しやすいのです。
集中をしていない状態の時、人はあちこちに気を撒き散らします。意外と人は気を撒き散らしているものなのです。そういった、散漫でアトランダムなムラっけのある気というのは、人はあまり好みません。
それに対して、集中している人は静かで穏やかで、整然とした気を自分にまとい、集中対象に注ぎ、気を撒き散らすことない状態になります。
ところが、集中することができない人は、集中とリラックスを完全に取り間違うところがここにあります。
リラックス=集中ではなくて、ニアイコールです。
つまり、よく似た状態になるので
「相手はリラックスしている」
と勘違いをしてしまいます。ところが、当の本人は、
「自分は集中している」
となり、決定的な接し方の差ができます。
リラックスと集中は厳密には違います。
僕からみると、近づいていいパワースポットとそうではないパワースポットがあるのですが、現代人はごっちゃごっちゃにして近づいています。
それは、非常に危険なことなのです。
このことは別の機会に記事にするとして本題に戻りたいと思います。
集中したいあなたは、どうしたら邪魔が入らないのか。
それはもう偏に環境を整えるしかないか、集中しないか、いずれかしかないかもしれません。
集中力が大事だと思っているあなたに近寄って来る輩は、それすらないのでわからないことが多いのです。何もわからない人がすることは、とても怖いです。加減をしることができないので、自分が声をかけたことに何の罪の意識もないどころか、どうして怒られるのかそんな謂れなどないと反論をしてきます。それは説明しても、絶対にわからないことなのです。
ちなみに、この集中していることにつけこんで来るのは、人だけではありません。
運やタイミングもこれを逃しません。
色々良くないものがついている人は、このいきだと、面白半分に邪魔をいれるでしょう。
そうでなくても、澄んだ気がそこにあれば、淀みはここぞとばかりに穢しにきます。
やたら電話はなるわ、やたら対応しなければいけないことが出てきて、どうしてさっきじゃなくて、今なんだ、となるでしょう。
それはあなたに、集中できる、という才能があるからです。
誰でも集中はできますが、誰でもできるということは、しないひともできない人(勉強不足で)もいて、それに価値がないと心では思っていたりすることです。
なので、あなたが集中している時に邪魔をされたら、できることはほぼありません。
もう邪魔されるがままされて、そして、その糸が切れた時、邪魔も消えます。
光がなければ闇もないのです。
邪魔、というは文字通り邪で魔の悪いものです。
あなたにやたらそういうことがある、というのは、それはあなた自身が光の存在だからです。だから、もしそういう目にたくさんあっているのであれば、アイデアはメモなりなんなりして、嵐が過ぎるのを待ちましょう。
邪魔をされるあなたに罪はなく、邪魔する側にあります。それが無知ならなおのことです。
それにしても、集中できる邪魔されない環境が欲しいものです。