魔法の秘密

最近、ウィッカというものを縁があって勉強させていただく機会があって、親密にさせていただいている。何回かモイもしているので、読んでいる方の中には知っている方が見えるかもしれない。
ウィッカとは日本語だと、「魔女宗」とも訳されるようで、内容はキリスト教が駆逐してしまったヨーロッパに伝わっていた古代の多神教の復古のようなもので、内容は多岐にわたる。
ウィッカが魔法の教えのすべてではないが、非常に核心に迫るものが多々あり、大変勉強になる。不思議なもので、西と東でなんとなく似るところがあるのがおもしろい。

 今回は魔法というものがどういうものか、というところから入りたいと思う。具体的な魔法の使用方法については、小生のTwitterでツイートをたまにしているので、機会があれば目にされたい。なお、ウィッカについては、スコット・カニンガム氏に心より深く感謝申し上げたい。すでになくなられているが大変な良書をたくさん世に残しており、彼がいなければウィッカというものが復古されるのは1世紀は遅れていただろう。

 具体的な魔法については、彼の著作に詳しいので、参照にすると大変おもしろいだろう。

 魔法と魔術というものの違いについては、詳しくはまた別の機会に求めたいが、明らかに違うので、今回は魔法サイドの感想である。魔法を実践し始めて最初に感じたのは、実に神道的であるということだった。もっとも神道もアミニズム的な要素が強いので当たり前だが、神社にお参りに行くときや、日々の神官さんがたの生活というのは、それこそ魔術的であり、神道の魔法の雰囲気はあまり感じられない。古代日本には、とくに氷河期がすぎたあたりからだと思われるが、日本には巨木信仰があったとされている。これが神道の原型というか土台をとっている可能性は強い。それに付け加えて、自然崇拝があったのは疑いようはないのだし、これが魔法の雰囲気を醸し出している。

 魔法のもっとも基本的な方針の一つに、大自然の力を借りる、ということがある。自然の力を借りて目的を達成するのだから、逆に自然を助けることもまれにある。こういう自然と言うものとある種のコミュニケーション的なエネルギーのやりとりがあり、会話といえる意志疎通があるので、極めてスムーズに自然の偉大さが感じられる。
 魔法では、女神と男神というものをとても大事にするが、先に述べたように、これは東洋で言えば陰陽に値する。つまり魔法とは自然を学ぶことであり、自然とある種のコミュニケーションを確立させようとする学問だともいえる。

 自然には、段階的ではあるが、あきらかに意志が感じられる。そこがわかるかどうか、というのも大事だと思う。物質的になりすぎると、自然というものをシステムとして解釈しやすいが、それは見当外れではないが、了見が狭いと言わざるをえない。自然の力を借りると、その偉大さと大きさとすばらしさがわかる。最初の本題に戻って考えるが、このことから自然というのは、映画や小説で出てくるような、極めて範囲が狭い自己利益的自分本位的なものではないということがわかる。人間が魔法を使えるのは、これは自然のあらゆるものをいやすためにあるものだと心得る。現代の人間は真逆なことをしているので、警告はしたいが、人間が自然の力を借りれる、エネルギーの流れを調整できるということが魔法でできる以上、破壊的な行動、エネルギーを自然のエネルギーのベクトルとして方向付けていることは、非常に危険だということである。

 自然はすばらしい。
 それは陰陽五行や東洋の古代の知恵を学ぶたびおもうのだが、

自然は果てしなく偉大である。

ということを実感したのは、恥ずかしながらウィッカを学び実践を初めてから言葉ではなく、体験として識ることになり、その感覚は未だに衰えることなく、むしろ深みと広がりをみせている。

 魔法というのは、決して派手な見た目の効果や爆発を伴ったり怨敵を退散させるものではない。すべてを包み込む自然のエネルギーの一部して自分があり、偉大な力やエネルギーを借り、ベクトルを定め、あるべき姿に戻していき、バランスを回復させるという方法の一つである、ということを今の段階で申し上げたい。

 きっと古代の偉大な魔法使いたちは、人間だけでなく、動物や植物、そして自然そのものがうまくいくようにこの力を使っていたのだろう。

 余談ではあるが、キリストが誕生した時に、「東方三賢者」がベツレヘムの星の輝きにしたがって厩に訪れ、祝福をしたと言われている。この東方三賢者はMAGIと呼ばれている、メルキオール・バルタザール・カスパーの三人と言われているが、彼らは賢者というより、魔法使いだと考えられる。なぜならば、MAGIというのは、各地で魔法のことを指すからだ。マジナイ、マジック、MANA、などその名残がある、と言われている。星を見てキリスト誕生の時と場所がわかるのは、まさに魔法、いや、魔術でもあるからだ。

 余談が過ぎたが、魔法というのは、自然を学ばさせていただく身を持って体験させていただく極めて懐の深いものだ。