私たちは、ちょっと贅沢なのではないか。

 


例えば、自分が何かものを頼んだりお願いしたりしたとします。

出てきたものが、自分にとってベストでなければ、自分は不機嫌になると思いますか?、もっと良いものが出てきて当然、もっと大事にされて当然、どうしてこんなものしかでてこないの?

というようにはならないでしょうか。

当たり前に提供されているものの裏側には、誰かの努力があり、大勢の人が関わっており、その結果としてだけ自分に提供されているものとして現れていることの方が多いのです。

自分が気に入らなければ、最初から自分が用意すれば良いと思うのです。ですが。それは出来ません、あまりに労力が必要で有、すぐには出来ないからです。私たちはお金というツールを使って、その分を省略しているだけに過ぎません。

「はい、どうぞ」

と言って渡されたものが、常に自分にとって最良だとは限りません。そこに文句をいうのか、「そういうこともあるよね」
と言って受け取るのかは、自分次第なのです。

私たちは、比較的物質的に恵まれている世界で過ごしているので、自分にとって最良なものが提供されるのが当たり前のようになっているきらいがあります。

しかし、そうではないこともあるわけで、それは往々にして、安かったりお値打ちだったり訳ありだったりしますが、受け取る側によっては関係なく、最良のものではないと納得できない人もいます。

私たちは、あまりに贅沢ではないでしょうか。

自然だって、常に人間にとって最良な状態を提供してくれるとは限りませんし、自然が提供してくれているサービスの中で生きているわけではありません。時には暑く、時には寒く、厳しくあるのが常です。だから余計に人の間に変な最良のサービスを求めてしまうのかも知れません。

私たちは、他人に何かを求めすぎなのかも知れません。貴方だって、私だって、求められすぎればパンクをします。そういうことが、お金を介すると分からなくなったり、立場によっては、起こりうることがあります。

他人に甘えたり、お金に甘えたすることは、人間なので常にありますが、だから、常に自分は過度に贅沢になっていないか、と考える必要があるのでは無いでしょうか。

私たちはちょっと贅沢になっているような気がします。