新暦ですが、7月7日の七夕なので。


さて、今日は大事な節句の1つ。
7月7日、七夕です。
本当ならば、8月25日なんですけどね、まあ新暦の解釈で。

七夕は道教と縁が深く、見方によっては諸説あるもの、道教そのものと言っても過言では無いでしょう。

独自の解釈もありますので、ふーん、そうか、程度の感覚でお願いします。
たまにありますが、

「第一級の文献を出して証拠としろ」

というお話がありますが、もし持っていたとしても、名前も分からない挨拶もできない敵意むき出しの人に命より大事な文献をほいさか差し出すわけないので、その当たりのご寛恕願います。


七夕を見ると、まず7という数字があります。
7と言う数字は、東洋哲学と呼ばれ、東洋占術をたしなむものならば、まず思い浮かべるのは、「北斗七星」でしょう。
7はラッキーナンバーという西洋的な刷り込みがありますが、7はどうしたって東洋ではあまり言い数字とは言いがたい物です。ただ、陰数陽数の考え方からいうと、陽数なので、そこそこ並べ場縁起は良いのかもしれませんw

この北斗は北極星、紫微星、つまり玉皇大帝の周りを回る御者、牛車とも言われており、人の生死から運勢まで司っているとても重要な星です。

七夕の織り姫は天帝の娘と言われており、詰まるところ、最高神の娘、ということになります。(おっと日本では天照大御神は女神ということになっているのでしたよね、一応は)。
そして、織り込めは別名、牛朗織女とも呼ばれる仙女でもあります。

彦星、つまり、彦は男を指しますので、男の星です。
彦星は牛飼いをしていました。

牛というのは、古代宗教ではよく出てくる物であり、聖書の中でもその片鱗がよく垣間見られます。世界的な宗教で、牛をシンボルとしていたミトラ教がありました。今では純粋なミトラ教は無くなってしまいましたが、あちこちに宗教からみに牛を見かけることができます。

さて、その二人ですが、天帝の許しを得て結婚したのは良いのですが、仕事を全くせず(新婚さんなんだから、仕方が無いような気がしますけど)、いい加減にしなさい、と怒られ、二人の中は引き裂かれてしまいます。文字通り、天にある天の川の両端におかれ、二人は川を挟む形になり、会うことは出来なくなってしまいました。

二人は絶望にくれ、結局仕事もしないで泣いてばかり。困った天帝は、それならば、一年に一回だけ、天の川を渡ってあっても良い、ということになり、その日を七夕としました。
二人が一年に一回だけ逢える、その喜びを一緒にお祝いしてくれる人の願い事をかなえようと二人は決めました。短冊に願い事を書いて、笹に結び、天高く掲げ、二人をお祝いしていることしめしていると、二人が短冊に書かれた願い事を叶えてくれる、というお話でした。

以上、かなりですが、ざっくりとした七夕の話です。

七夕には笹の葉、竹の一種です。
竹の関係で、一人お姫様がいまして、かぐや姫といいまして、竹の中にいて、月に帰って行く姫のお話でした。

七夕には、いくつか鍵となるアイテムがあります。

まず、星です。二人は星の神様です。
そして、牛が出てきます。また、牛に絡んで重要な場所、天の川が出てきます。
彦星が牛飼いだったのは、偶然ではありません、牛飼いで無ければ、天の川は渡れなかったのです。

そして、笹、竹。

天帝というのは、天の長であり、神々の帝であります。天の星で動くことがないとされる北極星はまさにその象徴だと言えます。
観測がきちんとできるようになってから、北極星は実は3つあって、年代によって交代している事実が明らかになっています。まあ、世界中の神々がトリニティという3を構成するお話はもしかしたらここから来ているのかもしれません。

天の帝の娘、となれば、かなりの実力者です。たなばた、と入力して変換すると、棚機となるように神々の布を織るのが役目でした。
日本の古事記の中には、この織機を使っている側女がいました。その側女、機を織っているときに、須佐之男命のいたずらで、アメノフチコマという馬を生き剥ぎにして、その毛皮を部屋に投げ込んだところから、ビックリして機織り木で女性器をケガしてしまい、死んでしまったと言われます。
そのことが決定的な出来事となり、
「わらわはもう知らん」
となり、天岩戸に隠れてしまった天照大御神がいました。諸説ありますが、隠れてしまったというのは、高貴な人が亡くなったときに使う言葉であり、天照大御神は実はこの機織りをしていた棚機津姫ではないか、という説もあります。
死んだ時期も一緒ですし、出来事からしてもなんとなく想像はつきます。
ちなみに、馬というのは、男性の隠語でもありまして、なんとなくああ、身内のスキャンダル痴話げんか?、みたいな想像はつきますけども。

話は戻して彦星です。
夏彦とも呼ばれ、彦は昔言葉で男の意味ですから、夏男、みたいな感じなのでしょう。
なぜ、夏なのか、なぜ牛飼いなのか、と言う話です。

東洋には陰陽五行という考え方があり、これは、自然を研究するための学問でもありました。今では東洋医学から占術まで幅広く用いられていますが、本来は、人間が自然や神様を理解するための思想考え方だったのです。発端は農業と言われています。

陰陽で考えると、男性は陽、女性は陰です。
そう聞こえると、陰は比較的悪い印象を持たれがちですが、実は陰は悪いとはいうことではなく、バランスのため、大変重要な地位を占めます。なので、陰だから悪いという考え方は少し短絡的すぎると言えるでしょう。

話は戻して、夏は陽中の陽。もっとも陽の気が盛んであり、まさに男、と言えます。
夏にひときわ大きく輝くアルタイルは、まさに男の星ということなのでしょう。

牛飼いである理由は、まず、十二支で考えると、丑寅があります。
丑寅は時刻も方角も陰陽交わる切り替わる大変重要な位置、時間です。この2つ陰と陽が切り替わります。
丑寅は方角では別名、鬼門と呼ばれます。
鬼門は昔から意味避けられてきましたが、実はこの陰陽が切り替わる重要な方位のため、極めて正常にしておかなければいけないということが、山海経という書物が、
「魔物が来るため、神茶と鬱塁という兄弟の門神をおいて、来たら葦の縄でふん縛って、虎に食わせていた」
という話が有名になってしまい、本来の清浄であれ、という意味からかけ離れてしまいました。

まあ考え方によっては、神茶鬱塁も間違いでは無く、陰の気が極まったものを、陽の気の虎に食わせるという考え方もありっちゃありです。

また、この話は桃太郎にも通じる物があります。
桃と、猿、雉、犬は、十二支の中にあり、この鬼門のされる丑寅とは中央から向かい合っているものなのです。そして、金の気(マネーではなく金属の気)

彦星は陽が極まった神であり、陰の牛を連れています。
陰陽には、陰が極まると陽に転じ、陽が極まると陰に転じるとあります。
つまり陰陽で見ると、まさに陽の気がつれた陰なのです。
(気がつく人はここで気がつくかもしれないけど、ここもスキャンダってます)

そして、もう一つ、牛でなければならないのが、天の川の存在です。
川には河伯という神様がいます、詳しい人ならば、カッパじゃん、となりますが、そのカッパではなくて、中国の河の神、河伯です。
古代中国では、よく大河が氾濫をして民衆を苦しめましたので、そういう場合、女性か牛を生け贄としたことがありました。

河伯は男性の神であるため、女性を人身御供として捧げ慰め、河を鎮めようとしたのでしょう。
また、牛はまるまる一頭荒れ狂う河に投げ入れられました。

どうして、牛?

陰陽五行で、牛こと、丑は陰でもありますが、木気、火気、土気、金気、水気のうち、強い土の気を持つとされています。また、実際に五行の配当図でも、水気から木気に転じる土気となります。これを別名、土用といいます。

土用の丑、なんかは分かりやすい話です。

五行は、木火土金水という気が循環して世界を形成している考え方ですが、いきなりかわるのではなく、一旦、土というフィールドに変わってから、次の気に変化するという考え方があります。

一年には四季があります、いきなり春夏秋冬変わるのではなく、春→土→夏→土→秋→土→冬→土→春→土→夏…という循環を繰り返す考え方です。

その中で、土は水を抑えるという働きがあります。
これを相克といい、水にとって、土は苦手なのです。堤防を思い浮かべてください、あれは、土によって河の流れ、水を制されていることを現しているのです。

(しかしながら、逆もありえます、これは正常なバランスの上での話なので、逆の場合もあります。これを東洋医学でいえば、病になっている状態です。つまり、堤防が壊れ、川が氾濫しているのは、病気の状態といえます)

ここで、話を戻して、どうして彦星が牛飼いでなければいけなかったのか。
それは天の川があるからなのです。
彦星はある意味で、天の川の管理人的な立場でもあったのでは、と考えます。
つまり、牛を引き連れているのは、実際に牛が連れ立っているのではなく、彦星の性質、力の表し方だったのかもしれません。

古代中国では、こういう手法をよくとります。
脱線しますが、不老不死のことを金人といいます。これは金というものが錆びることなく、他の金属とも交わることがない様子から来ており、不老不死は真の人間のあり方であるため、真人とも言われ、枯れることがない様子から金に例えられて、金人と呼ばれていました。
つまり、仙人たちは、真人とか金人とかと呼ばれていたのです。

つまり、牛飼いの彦星、といって、本当に牛飼いだったのか、というと、そうかもしれないけど、実は水を抑える力、知識をもっていた、天の川の管理人という考え方もできます。

さて、二人の説明がおわったところで本題に戻りますが、ようは結婚したのは良いけど、夫婦生活が過ぎて引き離された二人、つまり陰陽が交わっているのはいいけど、ずっと交わりすぎて循環するのをやめてしまっては、世界の調和は成り立ちません。陰から陽にも転じないしその逆も無かったりして困りものです。

ですので、年に一日を除いて、引き裂いたという天帝は正しい判断をしたのでしょう。
古代宗教の世界的な宗教に、「ミトラ教」があり、それが牛と男性に深く関わることから、ここからもなんとなく、

シルクロードの香りがする伝説

ともいえます。
まあ、大自在天とかもありますしね。

笹の葉、まあ、竹というのはよく伸びるので、天から見やすいように、というのがありますが、竹ってのは皇族の隠語でもあることは、ちらっと書き残しておきます。

さて、一昨日から、九州は水害に遭っており、心配をしています。
どうぞ、おさまってくれますように。

そうそう、禹王のことも忘れちゃダメです。
またその話は今度ということで…。
お付き合いくださいまして、ありがとうございました。