ATOK、Just Systemはどうかしてしまったのか。



僕は結構古いPCユーザで、まあ、DOS/Vとかパンチとかいわれて、ピンとくるユーザです。昔のDOS時代からしっていて、MIFESとかLotus1-2-3、一太郎なんかはDOS画面で触っていたような感じです。

今では、Lotus123なんか名前ぐらいしか存在していないのに、一太郎に関してはまだまだ現役で頑張っているだけあってうれしいものです。それだけ、ジャストシステムは大好きなのです。

Macも使う人なので、いずれも日本語入力はATOKを使用しています。
ツイッターでも批判はかなりしているのですが、このATOK、年々悪くなっていくような気がします。ブランド名は同じですがね過去の栄光に乗っかっている日本語入力システムになっていて、ネット上のいろいろな比較記事でも、悲しいことに、Google日本語入力システムがトップに踊りでるようなことは多々、見かけます。

僕も使っていて、それは思うのです。

この際なので、きちんと言いたいのですが、ATOKを企画作成している人たちはかなり優秀だと思います。そして、その頭の良さ、若さのパワーはソフトに反映されていて、ネットスラングを中心とした日本語のフィールドには素晴らしい力を発揮します。

問題は、日本語というものを知らなさすぎだと言うことです。

今のATOK、ちょっと昔の日本語やその使い方などで入力をすると、とんちんかんどころか、まったく違うものを提示してきます。その割には、ネットスラングは素晴らしい変換効率で変換してくれる。つまり、

「作り手が日本語を知らない」

ということがすごい問題点なのです。
確かに、ネットスラングは大事だと思います。だけど、そういうのは、Googleにかなうでしょうか。勝負のしどころが違うのです。

つまり、

ちゃんと日本語を変換してくれるためにATOKというものを期待している

のに、

やたら張り合って、ルツボとしての変換ソフト

になっているのがとても残念なのです。
別に専門のパックを買えばいいのですが、そういう問題ではなく、根本的な命題として、

「開発者たちは日本語というものをどういうものとして捉えているのか、また日本語の歴史、言語としてどういうものなのか」

という根本的命題、つまり、日本語の形而上学的哲学とでもいうのでしょうか、そういった意識がまるっきり欠落しているように思います。
それは、今の若い人には酷な話かもしれません。
これだけ日本語という言語が短期間に変化したのも、日本語史上そうないでしょう。だからこそ、ATOKの開発者たちには、日本語のありかた、歴史、形を保っていてほしいのです。別に集合知してどうかしたいのであれば、GoogleIMEで十分ですし、それにかなうだけの企業としてのパワーもないでしょう。

ともかく売れればOK、みたいなことをしていたら、ジャストシステム自体が廃れていくばかりでしょう。ジャストシステムさんに言いたいのは、あなたたちが販売しているものは、一体なんですか、という話です。

日本語とはなんぞや

という禅問答的な難儀な質問に対して、

我々は電脳世界の日本語の守護者である

くらいの自負は持っていてもらいたいものです。はっきり言いますが、AIやディープラーニングの結果なんか、たいしたことないのです。
日本語を使っているのは、日本人です。
そこを間違えていると、そういったはやりのものや、一見良さそうなものに惹かれてしまうのです。
ネットを読破したものと、日本語の辞書を読破したものでは、その違いははっきりとわかるでしょう。そして、ネットを徘徊するAIと、日本語言語学者は、決して同じ結果、質の答えを出すことはないでしょう。

僕はATOKが大好きです。

初めて、日本語をディスプレイに見たとき、漢字変換の素晴らしさ、その感動は今でも覚えています。

今のATOKは、DOS時代より悪い。

と僕は思います。
讒言ではなく、進言したいのは、

ジャストシステムよ、日本語を、この言葉を学び伝え給え。

と、言うことなのです。

今後に大いに期待をしています。