そんなこともできないのに、君たちが今いる社会よりずっと深くて広くて理不尽な社会になにができるのですか?
実学至上主義者じゃない、けど、実学至上主義者だねww
まあ、この気持ちわからんでもないんですけどね。
実際に、
これそれが勉強したいのに、他のことばっかり勉強させられて。
というのは、自分も経験ありますから、気持ちは理解できます。
しかし、社会に出てから思うのですが、専門知識や専門学問というのは、単なる指針やツールでしかなくて、それを実際に社会に役立てようとか、仕事に使おうとするならば、他の事を知らないといけないのです。
そういうことがまったくわかっていない人ですね。
ただ、受験が大変だからこういう気持ちになるのはわかりますが、書かれているように古文とか漢文とかなくしてみましょう。
民族のルーツを失った民族は消滅する、
という言葉があるように、自分たちが何者かわからないようであれば、何か問題が起き時にその時対処になってしまい、自分たちの資質を知ることなく、おそらく間違った決断を下すことになります。
それに、情緒の問題も、風情の問題もあります。
日本は、世界一古い国家ですよ。
ということは、世界一保守的な国家、と言い換えてもそう間違いではないのです。
それなのに、今時点での話ししかできないものが、どうやって、既得権益層に食いついていけるのでしょうか、
「こんなこともわからないのか」
と、一蹴されてしまうのが落ちです。
そうでなくても、そういうことがわからない、または学ぶ機会もつもりもないならば、それはどこの国の人なのでしょうか?
今の中華人民共和国を見てご覧なさい。
建国数十年の国です、文化のなにがありますか。
彼らが文化的背景にしているのは、中華人民共和国が設立される前の中華帝国の時代の話です。文化的背景をなしにして、国家、民族、人は語ることができません。そんな人がどうやって国際社会に発言力増していくことができるのでしょうか。
経済の力で押し切っても、それを続けることができないのは、戦後の米国、日本、欧州、中国を見れば一目瞭然です。
で、そういう学部はあればいいんだし、好きな人がやればいいじゃないか。
了見狭いですねぇ。
そうでしょうね、好きなことやればいいんですもん。
ところがどっこい、人間の社会はそれを許すことはまずないでしょう。
幅広い了見、幅広い知識、全く異なったところから来る発想、理不尽に耐える力、そういった物が大事なわけで、好きで勉強しているなんて、はっきりいうけど、それはサークルか研究者レベルでのお話でしょう。
そういう人たちだって、生きていくためには人間関係の勉強やら、他の学問の勉強やらをしてきたのです。好きなことだけして生きていくことはできないのです。
日本の受験形態には問題がある。
それは認めます、だけど、とりあえず今の状態で一番最良じゃないかと思われる状態で進んでいるのも確かな話なのです。それが嫌ならば、貴方が改革をしなさい。と思うのです。でもそのためには好きなことだけ勉強していくのは無理なことでしょう。
どんな話でも、
「自分がしたい勉強だけ選択して学ぶ」
ことはできないのです。
それは一つの学問があらゆる学問、学びとつながっているからです。
自分の心や感情だけ知れば、他の人のことはどうでも良いわけではない、のと一緒です。
どんなことしても、貴方がどれだけ古文漢文を避け続けても、それを少なくとも最低レベルは習得するための何かが来るでしょう。
受験大変だけど、こんなことを書く気持ちもわかります。
あと少しですから、頑張って。
あと、僕がある意味でショックを受けた一言を紹介します。
「こんなこともできなくて、なにができるのかね?」