人生の旅の恥はかき捨てではない。

 昔、よく旅の恥はかき捨てと言われたものだ。そこには二度と行く機会もないのだから多少の羽目を外しても、恥をかいても問題ない。むしろ恥ずかしい言動をしてしまっても平気、という話なのだが、どうも最近はそれを人生に当てはめる方が多いような気がする。

 なんとも情けない話なのだが、どうせ死ぬのだから、やりたいことやって、迷惑関係なし、そこそこ行っていれば問題ない。むしろ人に迷惑掛けようが状況が何であろうが人生とはエンターテインメントで楽しんだもの勝ち、好きなことをやってしまおう、どうせ人は死ぬのだから問題ないない。
 正直な話、そんな人が多く、昔は人に迷惑をかけてはいけません、なんて今やどこ吹く風か、と。

 この考えの根底にあるのは「人間死んだら終わり」という、極めて物質偏重な考え方があり、単純に人間は生きている間だけの存在であり、死んだら消滅するだけ、というなんともある意味単純なものの見方があるのだろうと思う。この考え方は霊的なものを無視しているだけでなく、自分の魂をも否定している悲しい考え方でもあると私は思うのです。

 戦中までは、日本人はものすごく魂を重んじていて、ゆえに生き方も立派であったことが多かった。むしろ物質偏重な考えの方が比較的少数だったように考える。

 スピリチュアリズムでは、霊主肉従の考え方が主たるものになるが、やはりこちらが正しいと思う。人の心というものは決して脳の化学的・電気的反応の産物ではないのでしょう。

 話は戻しまして、この人生の旅というのは、実は死んでから始まるのではないか、と私はふと感じることが多い。
 例えば、日本で生まれたとして、大まかに一般的な流れとしては、幼稚園や保育園、小学校・中学校と進学をしていく。もちろんドロップアウトもする人もいる、そして、そこからが大事なのではないだろうか。学校を出れば一人前なのだろうか、学校というのはむしろ学びの場であり、その後の生活のために色々と教えてもらう場でもある。
 勘のいい方はわかると思うが、思うにこの世界、この世、というのは学びの場、いわば学校なのだ。まだ永遠からみれば、私たちの魂は発生したばかりの赤ん坊同然のものなのだろう。だから、きちんとこの世界で勉強をさせてから、真実の世界に送り出すのだろう。私たちの世界でも、アルバイトもしたことがない学生が、
「私は社会のことをなんでも知っている」
という話をしたら、それはそれでいいのかもしれないが、おそらく大半の人は、何を言っているんだ、まず働いてみろ、というだろう。学校=実社会の公式は当てはまらない。

 私たちはそういう、大きな保護の中で物質的に必要があって生かされている。学生だって好き勝手やっていいわけではない、勉学をしきちんと修士を収めなれば学生としてもいっぱしと認められないだろう。

 ここでもう一つ根本的に戻って、人生とは一種の学校であるということから、一生のいう旅の恥はかき捨てではない、という意味がどうしてそうなのか、わかっていただけると思う。
 死とは卒業検定の始まりなのだ。ブッダは人として生まれ変わ輪廻転生から脱しなければいけない、解脱せよ、と説いたのだが、これは人生という学生である自分がきちんと卒業基準に満たせよ、と言っているのとも解釈ができる。
 恥をかき捨てと好きなようにやれば、確かに時間は経過していくので、老いて死ぬことになるのだが、これがでは卒業になるのか、というとむしろ卒業どころか、さらに苦難をしょったやり直しとされることであろう。死んで、判断される場があるのは世界中のどこにでもある話なのだが、そういうところで延々と自分が過ごした人生とそれによって良い悪い影響を受けたもの、魂の成長度合いなどが判断され、おそらくではあるが、死ぬのだから好き勝手良い、やったもん勝ち言ったもん勝ち死ねば終わりなのだから後は知ったことかの態度でされたことの反省をさせられ、人として卒業に値するのか、という判断をいわゆる上からされる。
その時に、
死んだら終わりだと思ったので、好き勝手やりました。死んだら本当の人生が始まると知っていたら真面目にきちんとやるべきことやりました。
と言えば、
ならばやり直しをしたまえ。
と次の人生が始まることだろう。
私たちはそうして今の世界のいるのかもしれない。

私たちの人生は老いて死ぬ。
しかしそれは、物質界という学校の卒業試験の最終段階であり、そこには合否が歴然と存在がしているだろう。
そして試験に落ちたと判断されれば、記憶をまっさらにされ、もう一度魂の精錬と修練のために人生にかりだされるのだ。
それがどんなに嫌でも。
それも前の人生のやり残した分も含めて。

やり直しさせてくれるだけありがたい。
落第しても戻れる学校があるのであれば。
でも、きっとその学校たるこの物質的世界はおそらくは、有限であることを私たちはよく覚えておいたほうがいいことの一つなのかもしれない。