人に甘えて成り立つ友情も愛情も存在しない

この時代は生きにくいと感じることが多いのではないだろうか。

しかし本当に時代のせいなのだろうか、と思う。
確かに我々に生きている時代は人類の歴史の中でも大きな転換期になるだろう、しかし、大きな戦争もなく、疫病の世界的流行もない。
情報も環境も飛躍的に良くなっており、経済に関しては大恐慌を間にしているとはいえそれなりにいいのではないのかと思う。
生きにくいのは、自分と他人の関わりについてではないだろうか。

最近いろいろ他人と話していたり、関わりを持つになって思う事がある。

「我々はもしかしたら、他人に大して甘えすぎているのではないだろうか」

ということである。
つまり、現代では他人との関わりが薄いというわりには、他人の感情などに依存している度合いがおそらく過去にないほどあるのだ。
簡単に言えば、現代のほとんどの人が、人という生き物に慣れていないということだ。

元来、人間というのは独りのものなのだ。
心の声は他人には聞こえず、形も見えず、本当に欲しいものは何かもわかっていない。
いや、他人に理解してもらおうとすることこそが、本当の欲求なのかもしれない。
昔の人たちは、芸術・美術を通して他人に理解を求めた人もいた。
だが、なかなか理解を得る事はできない、というか、そもそも他人同士というのは理解できない物なのではないだろうか。

そういうことをすっかり忘れてしまい、ほとんどの人がこう訴える。
「どうしてわかってくれないんだ!、私がこんなになっているのに!!」

誰も自分でさえも、心がわからないように、人というのはわかり得ないものなのだ。
そういう中で少しでもわかり合えるから、友情や愛情というのは尊いものなのだ。

最近気がついた事がある。
小生も当てはまることはあるので、批判はできないのは重々承知だが、他人に対して、「怒り」「嫉妬」つまりネガティブな感情を持つということは、それだけその人に甘えているのではないだろうか。
何を今更、と思うかもしれないが、そう思う方には、それらをちゃんとコントロールできているのかと問う。

つまり、我々は他人に依存しすぎているのである。しかも良くない事に自分自身のことをよくわかっていないのにである。
本当の友情や愛情を求めている人には、逆説的で大変皮肉な話だが、そういう感情を他人に対して持つ事をやめることだ。
そうすれば、向こうからそれらはやってくるだろう。