『科学がつきとめた「運のいい人」』に対しての反論。

 

又聞きになりますので、もし間違っていたらごめんなさい。

僕がよく聞くポッドキャストの一つにゴロゴロトーキングがあります、若い男性の経営者の方々が二人して色々なものを紹介したり批判したりする番組で、聞きやすく面白く、大変秀作なポッドキャストの一つだと思います。

なにより、お二人の声がエロい。

まあ、それはともかくおいておいて。
今回はその中で紹介された著作「科学がつきとめた運のいい人」の要約を聞いていて、そうなのかな、と思うことがありましたので、このブログでちょっと考察してみます。

ポッドキャストの二人に反論するのではなく、著作「科学がつきとめた運のいい人」の中身についてです。
お二人の言葉を借りて簡単に言えば、

■「生年月日や血液型などによって、運が決まるわけではない」

存在します。

 エビデンスがあるのか、言われれば、ある種の占いは統計学であり、霊感がなくても覚えるだけでできるものがたくさんあります。分類方法は近代的ではありませんが、「古代の分類方法」できちんと分類されています。例えば、12進法と10進法で分類されているのが干支であり、これはきちんと活用すれば勘がなくても占いできてしまいます。西洋のホロスコーブも同じで、惑星運動が法則性があるので分類が可能で、めちゃくちゃに適当にお話をしているのではありません。

 こういうことから考えると、人類が生まれた最も古い職業の一つとして考えられている占いというのは、長い期間経験則で溜め込まれたデータから、生まれた場所、時間で大きく左右されるのは間違いないのです。皆「平等に運を持って生まれたきた」わけではないのは、実感としてわかるはずです。皆平等の運気を持っている、というのであれば、どうして幸不幸が自分以外の要素で発生するのでしょうか。

■「運というものは存在しない」

 存在します。

 前の項でお話をしましたように、人間には持って生まれた運気が存在しており、一定の偏りが存在しています。それは、運がいい人の方よりであり、不幸なことや人の偏りでもあります。そうでなけば、人類が生まれてから今まで、占い、というものが存在し続けるのは無理です。どうして人類が占いから決別できないのか、というと、それが本質を見抜くための、科学技術体系とは異なった学問体系だからです。形而上学という上では、科学も占いも同じ本質を探るための手段ではありますが、科学が一方的に占いを拒絶しているだけで、2つの目的は同じものです。

例えば、科学の究極的目的は、

1.人類を幸福にすること
2.物事の真理を知ること
3.宇宙や世界を知ること

42、というのはおいておいて。
そういうことを知るためにあるのであれば、占いを真剣に研究している人ならば、

「それ同じことじゃないの」

と言うはずです。
世界を知るための、真理を知るための手段として、科学があり、一方では占いがあるのです。体系が違うだけで、目的は一緒であり、それは人類を幸福にすることなのです。


■「運というのはテクニックで習得できる」

 できるものもあれば、できないものもあります、できないものの方が多い。

 ちょっと酷な話をすれば、胎児はどうでしょうか。いや生まれていないから占いは適用できないという方も見えるでしょうが、占いの中には受精した瞬間で占う方法が洋の東西に問わずあることをご承知おきください。

 胎児は自分の意志をもって、外の世界に影響を及ぼすことがあまりできません。もちろん、まったくできない、というわけではなく、存在自体がかなりの影響力を持つ上に、胎動などで影響を及ぼすことができますが、胎児が奇門遁甲とかはできませんよね。

 しかし胎児には確実に運があります。運が悪い胎児という言い方は本当に苦しいのですが、そういう運の下にある胎児は命すら危ういのです。そして、それは胎児自身になんの罪もありません。ただそういうタイミングが悪かったり、環境がわるかったりすることなのです。これを運が悪い、と言わずしてなんというのでしょうか。

 胎児だけでありません。乳幼児もそうですし、もっと言えば子供もそうです。関わる大人や環境、時代によって大きく自分の可能性が制限され、うまくいかないことは、このコロナ禍において、すべての人が理解できるのではないでしょうか。大人だってそうです。コロナ禍は貴方のせいですか?、飲みに行けなかったり旅行に行けなかったり、自分の行動、私権が大きく制約を受け経済的にも辛い立場に立たされている人も少なくないでしょう。それは全て自分のせいでしょうか?。

 その反面、人間はなんとか運を良くしたいと願い研究をしたおかげで、運を改善する方法を数多く習得しています。例えば、力の強い神様や氏神様に参拝にいくのも日本人らしい運をテクニックで習得する方法の一つでしょう。
 パワーストーンを身に着けたり、なにか特別なものや事をするのも運を改善するテクニックの一つでもあります。

 この時点で、運というものが存在しないという前提は崩れてしまいます。

■「自分をVIP扱いする」

 配慮範囲が広ければ運が良い、なるほど、では生まれ持って環境が良い人は生まれる前から配慮範囲が広いのか。これは半分本当で半分は証明できないものだと思います。

 配慮範囲がある程度なければ、社会では生きていけません。自虐ネタをして助かった事例はたくさんあるでしょうし、運からすれば確かにこれは必要なことですが、やりすぎれば運は逃げていくと思います。

■「運がいいと思い込んで継続する」

これは本当ですが、自分で思うような表層意識で運がいいと思い込んでも、深層心理で拾は運が良くない、と思っていればアウトです。心底思いこむには、

「運的な成功体験がある程度ないとできない」

のです。これは卵が先か鶏が先か、の話になると思います。ランダムウォークの話でも、コイン裏表が5千と5千にならない、ということからもわかるように、運には偏りが存在します。もっとも話では、不運が続いていて、あと少しで打破できるのにそこが運が悪い人はできない、運がいい人はできる、という話ですか、これは「運の話ではありません」。自分の心の強さの話だと思います。心が強い人は、挫けそうになってもあと一歩踏み出すのです、そこで確率や運というものを突破していくのだと思います。

■この本を紹介されて

 思ったことは、運が存在しないと言いながらもテクニックで改善ができるというような、ちょっと矛盾した話が多く、本当に役に立つのかわかりかねる部分があります。が、ある人達にとっては救いになるのは間違いなさそうなので、読んで見る価値はありそうです。

■運というものは開運ができると僕は思う。

 人には困難を克服する力があるように、運気を開く、運を良くする力があります。ただし、あまりに最初のスタート地点が異なるのため、一定の基準を設けて開運したとかしないというと、バラバラに見えるのですが、子供の頃ひどい目にあい続けた人が大人になって、普通の大人の生活ができるというのは、ある種の開運、運がよくなったためといえます。

 開運には、自分でできる開運と、まったく自分が及ばないが自分に影響がある開運があります。理不尽ですが、この世界の理の一つに、それがあります。

 でも、どれが、自分の力で開運できるのか、自分の力ではどうにならないものなか、わかりません。だから手当たりしだいに努力が必要になります。そのために多くものに触れ、考え、行動をし、反省をし、また前に進んでいくということが必要なります。

■開運、運が良くなるために本当に必要なことはなにか?

そんなことを心の中でも考えないようにすることです。開運をしたい、運が良くなりたい、そういうことを自分の手から放すのです。手放してしまえば、きっと貴方は見つけることができるでしょう。

運を良くしたい、と考えることはおやめなさい。