新元号「令和」を道士として考える。



ようやく元号が発表され、みんなの感想は、
「ふーん??」
でした。
そして、有識者会議は…僕は
「えー…それでいいの」
と思いました。

令和、僕は好きですね。
ただ、その万葉集の歌から…と言う理由がちょっと、それはどうなのかなあ、と思います。正直、普通に漢書からとっても問題ないですし、そのあたりどうせやるんならば、万葉集ではなくて、古事記や日本書紀から取ってきたら、と思いました。

有識者…というのは、物知りのはずですが、どうしてこうなったのか、ちょっと不思議に思います。元号に込められている意味は僕からすれば、

「酔っ払って良い気分。梅、綺麗。蘭、ええ香」

程度にしか思いませんし、そもそも令和、という元号を聞いたときには、背筋が伸びた物ですが、理由をきいて、なんだこれは、ごまかすならばもっと良いものはなかったのか、と考えるのです。

令和。

漢文を読み、書として重んじる僕には、わかり安く印象を言うならば、

「神のご命令により、万物と和合せよ」

という意味合いに取れるのです。
これは神道のなかにある、自分たちは大自然の一部である、という考えがあり、万葉集の酔っ払いの歌なんか引き合いに出さず、はっきりと、

「みなと和をもって世を治めるべしと天が宣った」

くらい出したらどうだ、と思うのです。
故に、今回の元号は、僕は素晴らしいと思うのですが、いかんせん理由がまずい。
有識者の人たち、本当に有識者…なの?、という疑問符が浮かびます。
インタビューに答える有識者たちを拝見しましたがね驕り高ぶり天下取ったような
偉そうな人が結構いましたが、実に残念に思います。

元号令和はよかったが、人選間違ったよね。


さて、ここから。
名の名とすべきは、常の名に非ず。
ではないですが、令和の時代はどうなるのか。

名は名にあらずというところの一つに、それに足らない物を補う物として名の意味があるという話があります。

ここで、令と和を分解して考えると、



「ご神託、命令、詔」

など、天が人に対して何かしらせよ、というものがあるということになります。



「稲穂が垂れる様子に口、米食と深い関わりがある。また、和ということから、日本らしさ、そして人との気持ちが通じ合う、共感する」

と見えます。

この二つが令和時代に決定的に足らないことになるでしょう。
つまり令和時代には、神様が関与することが少なくなり、人々は個々に分裂していく、と思われます。
また、決定的な食料の危機が訪れるでしょう。
もしかしたら、日本の稲作になにか非常事態が起きるかもしれません。

最悪のシナリオとして、日本国民が神様のご加護、恩寵から外されてしまうのかもしれない、なんやら怖い話にもなります。
人が人を管理し、神様はもはや要らない世界になり、私たちは管理され人工的な食料を口にしていく、そんな時代…ちょっと怖いですが、決してかけ離れた世界の話だとも思えません。


そんな中、音から察する、冷たい感じではなく、もしかしたらなにか心温まる話があるのかもしれません。

いずれせよ、私たちは覚悟をしておいたほうがいいかもしれません。