人はなぜ人を支配しようとするのか

 

古来、自然の脅威が人類の生存を脅かしていたころは、なんとかして自然を学び、自然から恩恵を受けようとしてきた。と、同時に、自分たちの仲間であるはずの人もなんとかしようとする人がすくなからずいる。大体、全体の三割くらいが、自分以外の人間を自分の思い通りにしようと働きかけるのではないかと思う。もちろん、数的には当てずっぽうで根拠はないのだが、そんな感じがするので書いてみた。

 私もそうだが、できる限り、他人に干渉されたくない、したくない性格である。これは一緒に行動したくないというわけではなく、人のすることへの指図や禁止をするということであり、孤独でいたいというわけではない。

最近では、一番近しい存在である親から多大な干渉を受け、いろいろ感じ考える事が多くなったのだが、人というのは、一旦、「こうしてやらねば」という考えに取り憑かれてしまうと、相手のことなど関係なく、どうしてもそれをしようとしてしまう、まして、それが良いものに見えると、情や金や文言や脅しまで、あらゆる揺さぶり訴えかけるものを用いて通そうとする。

おそらくであるが、これを読めば、他人に向かってではなく自分たちに言え、消せ、というが、はっきり書いておくが、これは他人に向かって言いたいことである。いかような干渉不要であるといいたい。

話はそれたが、どうしてそんなに「他人を自分のいいなりにしたい」人たちが存在するのか、よく考えてみたのだ。

そもそも犯罪ではない限り、人をどうにかしようとするなど正常にだと思えない。個人主義と言われようが、我々は少なくとも肉を隔てて、意識が分割されている個人なのであるわけで、自分と違うのは、同然の話であると思う。

これがわからない人が多い。同じ考えや同調する、といった類のは話ではなく、そもそも論なのだ。私達は、個人であり、一個の存在であり、他の何者でもないのだ。そこがわかっていないと、どうしていうことをきかないんだ、ということになってくる。言うことが通じなかったり、従わなかったりするのは当然の話ではないか。神と人であれば、これはもう間違いなく当然なのだが、人対人の話であれば、当然ではないのだ。神が「こいつよりこいつのほうが上である」と宣言されていれば別なのだが。

結局、このことがわかっていないと、力で訴えかけて来る。出来る限りの手段をとってなんとか、自分たちの思うようにしようとするのである、が、それが
「そんなに自分たちの思うようにしたいの?」
と聞くと、決まって返ってくる答えは、
「そんなこと思っているわけではない」
なのである。

これはいったいどういうことなのだろうか。つまり、相手をもう個人として見えてないのである。少し優位な立場にいたり、力があったりすると、どうしても自分の思うようにしたいのである。いわゆるパワハラでもある。

どうしてそのようにしたいのか、考えてもわからないことが多いが、一つ言えるのは、やめたほうがいいということだ。必ず、長い時間を経て、自分がそういう目にあうのだ。