スポーツマンシップは選手だけのものではない

夏休みは仕事が忙しくて、なかなかこのブログに書きたいことがかけないでいる。皆さんは熱中症などにはなっていないだろうか。ご自愛されたい。

 さて、今回は前回に引き続き、柔道の話をしたいと思う。このロンドンオリンピックははっきり言ってしまえば、運営サイドから見ると、史上最低のオリンピックなのかもしれない。とくに審判に関しては、毎回オリンピックでは話題になるが、誤審のレベルがあまりにひどいと言わざるを得ない。どうしてこんなひどい状態なのか。

 ここで言いたいのは、もちろん海老沼選手の旗判定のことではあるが、あれはいくらなんでも素人から見てもひどいと言わざるをえない。決して、海老沼選手びいき、韓国サイドびいきをしているのではなく、審判のモラルとレベルの話をしたい。

 

海老沼選手の旗判定に関しては詳しいところは専門家とその他の方々に任せるとして、審判の判断に関してものを言いたい。

最初に旗判定をしたときは、なぜ?という気持ちと、
「あぁ、延長の印象だけで決定しているな」という思いだけがあり、これは第五真の歴史になるだろうなと思っていた。ここで、審判長から「異議あり」がで、旗が三本とも海老沼選手に覆った。

ここで疑問なのだ。小生が審判なら自分が一度出した判定は余程の過失がない限り覆さない。それが礼儀礼節であると思うからだ。その場で一度しか、その瞬間しか判定が出せないから真剣に行えるのだ。しかし、ジュリー判定があり、審判長の鶴の一言で判定が全く逆に覆るというのはいかがなものだろうか。この三人がまったく一緒に覆すのはまったくもって無責任かつ無礼な行為としか思えない。主審の方は随分と日本がお嫌いなようだが、審判長から言われて、畳に戻り副審を集め、そして、その次の瞬間の顔だ。

「仕方がないな、本当は嫌だけど」

という気持ちが伝わる大変良い表情をしている。そこまで嫌な顔を剃るのであれば、自分がくださした判定に自信を持って覆さなければいいのだ。圧力とか批判とか関係ない。自分がくださした判定なのだ柄覆すようなことはまったくもって男気がない。

三人が三人とも判定を覆したのは会場がどよめいたが、あの後味の悪さはなんだろう。それは、審判をしている誰もが責任をもっていないということがわかったからだ。韓国の選手は動揺し、海老沼選手は大変に後味が悪く、いいのかな、という心配そうな表情をしていた。

結果から見れば両者銅メダル(これは韓国サイドの努力が大きいが)と、なんだかすっきりしたような結果になったが、小生は審判たちに対して非常に腹立たしい思いを持っている。自分の判定をやすやすと覆すような判定をしないていただきたい。それは選手にも、観客にも大変に失礼なことであるということをわかっていなければならないし、判定の腕を上げるということをおざなりにしていて、自分たちがオリンピックという舞台にふさわしい審判であるかぜひ問うて欲しい。あまりに今回の判定は失礼無礼千万である。

シドニーオリンピックで言われた世紀の大誤審とよばれた動画がある。これは何度見ても涙がでる。それは審判の誤審にたいして悔しいと思う思いもあるだろうが、「この潔い篠原選手になにもできない自分たちに悔しい」という思いもあるのだろう。

篠原監督は、自分が選手の時に味わった借りを返せたのかもしれない。彼こそ監督にふさわしい人でもあった。金メダルがとれなかったのは、彼や選手のせいでは決してない。柔道界全体の責任である。いい加減でだらしがない柔道界トップの人たちは、よくよく選手や監督に責任を押し付けず足元を確認することだ。「勝って兜の緒を締める」を忘れた柔道界トップになにができようか。

小生は今回のオリンピックの柔道選手たち、監督たち、コーチたちは大変良く頑張ったと思う。何も恥じることはないのだ。

選手も監督もコーチもオリンピックごとにレベルが上がってきている。審判はそれについていっているだろうか。審判する人たちは自分たちの判定が選手の生命をいかに左右するかわかって、どれだけの責任を負わされているのかわかっているのだろうか。個人的な好きや嫌いで判断してはならないとどれだけわかっているのだろうか。

選手のオリンピックがあるのであれば、審判にあってもいいのではないだろうか。彼らは本当に一流であり、オリンピックにふさわしい審判として選ばれたのか、いつも疑問に小生は思うのだ。