責任を追求する姿勢。

去年の話題で申し訳ないが、ちょっと気になった話題があったので、それを考えてみる。

ゲイビデオに大育学生が出演した、ということで、随分ひどい状態に本人が置かれたという話である。まあ、この世界では枚挙に暇がないくらいこの手の話はあるわけだが、どっちかというと、アングラな話題で、あまり表沙汰になることは少ない。
が、今回は、アングラどころか、堂々と普通のニュースとしてネットに上がっていたわけで、そのあたりの配慮というものは、昔に比べてなくなってしまったな、と感じる。

思うに、自分の行動の責任というのは、自分が取るもので、他人がどうこういうものとは違うと思う。
確かに反論はあるだろうが、「自分の撒いた種は、良い果実であろうが、悪い果実であろうが、自分で摘み取る」という法則がある。
それを他人が面白半分にあれこれ持ち上げるのは、如何様なものだろうか、と思う。

マスコミはともかく、それを面白半分で自分の話題にする我々にも問題はある。

バッサリ言ってしまえば、
体育大学生がゲイビデオに出演したからと言って、それがなんなのだ。
その子が属する大学や団体になぜ責任が及ぶのか、さっぱりわからない。
その本人に対するなにかかしらの結果は、本人に帰するべきで、それは天が行うことであろう。

そもそもこういうことが批判の対象となるならば、我が国の破廉恥極まる政治家の話を真面目にしたほうがいいと思う。
ゲイビデオに出演したからと言って、この国がなにかなるわけでもあるまい。
それどころか、我が国のなんとも情けない政治家たちは、ヘタをすれば国家存亡に関わる話でもある。なぜそちらのほうが重要視されないのか。

我々は、どうでもいい娯楽などに目を向けている場合ではない。
今、本当に話をしなければならないこと、今本当に議論しなければならないことは山ほどあり、一回の学生がゲイビデオ云々などにウツツを抜かしている場合ではないではないか。
そんなことは、天に任せれば良いのだ。