我慢、辛抱、辛い事に、僕たちはいつから耐えられなくなったのでしょう。
オリンピックが一年ほど延期になって、世の中は騒然としています。それらのニュースはテレビを見れば嫌ほど流れているのであえて説明はしませんが、気の毒だな、と思う立場の人も多いのも事実です。
今回、オリンピックに関わった人のほとんどが気の毒な何らかの形を強いられ、無理矢理我慢を強いられる方になっています。
今回の新型コロナウイルスについては、僕は災害だと思います。
災害に対しては人間はなすすべもないわけで、ただ、ただ耐えることを要求されます。またそれを日本人は何度も何度も目の当たりにしてきたはずです。
ただ、今回については、みんな我慢はしいられるように成っているけど、我慢をできる限りしたくないように見受けられます。
まあ確かに我慢は心地よい物ではありませんし、できれば、と思いますが、ただ、人の天分というか運という物がありまして、どうしても人生で我慢を強いられることが多い人が居るのも事実だと思います。
テレビを見ていて、まあ、都会に住む若い人が多いと思いますが、
「我慢は絶対にしたくない、自分のやりたいようにやる」
という感じの人が多いような気がします。
我慢強い人は減ったような気がする、というのが、街灯インタビューを見ていて思う乾燥ではあります。
比較的、我慢を強いられることが多かった僕からすれば、天から与えられた物が我慢が必要な物であれば、それは文句なしに我慢をしていたさせられいた事が多かったので、今回のオリンピック、新型コロナウイルスについては、天災だと思い、我慢することは我慢する、みたいな感じです。
そろそろ、僕たちは大人になる必要があるのかもしれません。
今回のオリンピック、新型コロナウイルスの対応は歴史に残っていくでしょう、現代が神話の世界となる遠い未来でも、私たちの我慢の程度は記録され残っていくのです。
後代の誹りを受けない、大人な対応が必要なのでは、と思ったのでした。