タイミングの悪い人、タイミングの悪いこと、そして、運とタイミングの関係



こんにちは。
気がつけば、もう梅の時期になり、下手をすると桜の時期が目の前、という季節です。
光陰矢のごとしといったもので、時間が経つのは本当に早くて、一日がもっと長くならないかな、と日々思います。


表題にあるように、タイミングというものについて少し考えてみたいと思います。
僕は比較的、いや、かなりのタイミングの悪さを自他ともに認めるところです、昔から、よくこのタイミングについては調べたりして、自分なりの今の結論があるところです。


運が悪いことと、タイミングが悪いことはおおよそイコールとして用いられることが多く、ネットで調べても、スピリチュアル系を検索してもたいていは、

運が悪い=タイミングが悪い

という等式が成り立っているようです。
僕は実はそうは思わなくなっています、運が悪いことと、タイミングが悪いことは同義ではないようです。
確かにタイミングが悪いことは、不愉快なので、感情面から見たら同じように見えしまうのは否めませんが、本当に運が悪い、ということを身にしみてわかっている人ならば、どうでしょうか。


おおよそ、ネネットでタイミングの悪さを調べると、

タイミングの悪い人は…

・行動や決断が遅い
・マイナス思考
・自分勝手
・計画性がない

とかです。
中には、

・空気読めていない
・人間関係が下手
・経験不足

などもあり、

タイミング悪い、ということに対して、現実的な話であって、スピリチュアリズム的な観点が全くない、ということがほとんどです。
返して言えば、

現実対処できるものだけど、形而上学的な原因がわかっていない。

つまり、なんでタイミングが悪いのか、根源的な原因がわかっていない、ということなのかもしれません。

それに、タイミングの悪さ、というのは、わかりますよね、多かれ少なかれ、波があります。
もちろん、低空飛行のままの人もいれば、乱高下する人もいますから、

「私はずっとタイミングが悪いのよ」

って人もよく考えれば、毎回毎回最低な状態でタイミングが合わない、と言うことはないと思いますし、そもそもの話、対処方法よりも、

「なんで、私はタイミンクが悪いのだろう」

という根源的な質問に対して、対処療法的な答えしか示されていないサイトがなんと多いことかです。

僕が色々調べていろんなことを見て、いろんなことを経験していろいろなことを考えてみた結果、タイミングが悪い人、と悪いこと、には、それぞれ違った背景があるようです。


//「タイミングが悪い人」ってどんな人?

まずはタイミングが悪い人です。実は人間は、本当に何もなかったら、真の意味での素であれば、

「誰もタイミングは悪くない、むしろ良い」

ということです。
じゃあ、タイミングが悪いというのはなぜ起こるのか、人というものを対処療法的なものを取っ払って完全スピリチュアリズムで考えてみたら、

「ある種の予知能力がある」
「生来、プレコグの素質がある」
「自覚の有無はともかく霊感が強い」
「生まれつきの性格がとても素直である」
「我慢強い」
「直感力がある」
「自分より人を優先させてしまう」

こういった古皮質的というか、いわゆる素質がある人が多いように思います。
そして、大前提があります。

「発達障害でないこと」

です。

(ある種の自画自賛になりそうなので、僕は例外にしておきたいですw)

こういった、いわゆる勘の良い人の類は、本能的に色んな情報を得てしまいます。そして、訓練をされていれば、受け取った情報を正しく認識と処理をしようとします。できるかどうかは別ですが。

単純明快に言えば、

「タイミングが悪い人は、直感力が優れた人」

なのです。
だったら、なぜ、タイミングが悪いのでしょうか。

少し先に起こること、また、エンパスやテレパスの強い弱いはともかくその類の人、そういう人は情報を受け取ります。問題は、その情報は、情報なので、まったく人間にとって都合が良い悪いが色付けされていないことなのです。
そしてその情報をうけとった人間は、意識無意識下で行動をします。
そうすると、「人間にとって」タイミングが悪い、となるのです。

言い方を変えれば、

「タイミングが悪い方に、わざわざ自分が無自覚に突っ込んでいく」

という感じです。

普段から、自分の性質を理解して、

「直感力を恣意的に使う」

ということができていれば、問題ないのですが、そういったことが自分に備わっているのにも関わらず、自覚がない、謙遜をしている場合はタイミングが悪くなると思います。

わざわざ

「直感力でタイミングを悪くしている」

のです。
アンテナがあって、情報を受け取っているのにもかかわらず、自分がなんの情報を受け取っているのかわからないため、

「受け取った情報が衝動になって、その衝動が焦燥になって、焦燥が行動になって、タイミングが悪い場に突っ込んでいく」

と言った感じです。

言い方変えれば、

「タイミング良すぎて、タイミングが悪い」

と言うことなのです。

こういう人の場合、まず、感じとっている気持ちや気分などを腹に収めることです。行動するときに頭に気持ちが上っているのがほとんどでしょうから、そういう場合は、

一度行動する前、行動の途中に、無理やり変な間を入れます。
急いでいるときなどは抜群にききます。

「そんなことしたら、遅れたりするんじゃないか」

そうですね、よく考えてみてください、もうタイミング悪い場に突入しているのですから、どっちもどっちです。

タイミング悪い場(時間や空間)から、まず自分の身を外しましょう。

自分がタイミングの悪いところから外れた感覚を体に覚えさせましょう、いきなりは無理ですから、何度も何度も自分でやってみるのです。
そしてそういった事から外れた、その感覚が、

「自分が受け取った情報を正しく処理できる感覚」

として結びつければ一番いいと思います。

「タイミングが悪い人、それは、直感力がありすぎて、タイミングが良すぎて返ってタイミングが悪い人」

だと僕は今の時点で思います。


//「タイミングが悪いこと」は一体なんなんだ?


上記でも納得出来ない方、いますよね。
普段はそれほどタイミングが悪いわけではないのに、たまになんかすごくタイミング悪いときがある。

という人は、常時タイミング悪い人ではないので、当てはまりません。

中には、パワースポットやどこかの寺社仏閣にいってから、どうもなんかタイミングがあわない、いやいやそんなことはない、だってご利益があるって有名だもの、でもなんだろう、なんとなく一定の周期があるようなないような、なんかタイミングが??

ということもあるかもしれません。

スバリきりこんで言いますが、そういうことは、

「あなたの守護霊団が問題でしょう」

ということです。
守護霊云々は、霊能力者によって捉え方が非常に違うので、僕は基本的なスタンスとして、各個人の感覚によるのではなく、ヘミシンクをベースに考えたいと思います。
なぜならば、それは感覚を超えた、事実として認識できるものだからです。

ヘミシンクでは、「あなたのセコム」みたいな守護霊はありません。
そして守護霊というより、指導霊であり、それも何人もいます。二、三人ということはなく、もっと多く、大体一人あたり、少なくても20体から30体あります。一人に対して、団体でフォローアップしています。
もっとも、一人の後ろにずらーっといるわけではなく、当番制になっていて、一人、ないしは、三人から五人のチームを組んで現世の人間のいわゆる後ろにいます。他のメンバーは向こう側で休憩しているか、またはそれらの上司として向こう側で仕事をしている、そんな状態です。

まずは、このイメージを取っ払ってほしいのですが、

「普通霊や高級霊、いわゆる向こう側にいる方々は完璧」

この印象は大変危険です。

「向こう側にいる霊も神も仏も、現世にいる人間も動植物鉱物もろもろ、すべてなにもかもが成長途中」

というのが、僕は真実ではないか、と思います。

つまるところ、

普段はなんてことないのに、際立ってタイミングが悪いのは、向こう側の調整ミスの可能性がある。

ということです。

ご縁とか、運不運って基本的には目に見えないものです。目に見えないのは、原則として、目に見えないサイドの責任です。考え方や感情は私達の責任であるのと同様です。

あと、全体的にみて、向こう側の調整が入っているのも同様です。

やたらこのタイミングが合わない…

という背景には、守護霊団の未熟さが入っている可能性があります(言い方は悪いですが)。
守護霊団も一枚岩ではありませんし、さすがの霊もいれば、まだまだの霊もいます。
ですので、もうそういう時は、どうしようもありません。
もしかしたら、守護霊団に今現在の当番霊の交代を申し出れば変わるかもしれません。

霊サイドと物質サイドは決定的に違うところがあります、僕たちが霊サイドを完全に理解して動くことができないのと同じで、霊サイドも物質界の何が大事がわからずに手を加えている場合があります。特に、人間を経験したことがない霊ならば、覿面です。

私たちが物質界で今何が大事か、というのをきちんと訴えるのも悪くないでしょう。
僕はきちんと声にだして、今はタイミングが合わないことは本当にダメだときちんと訴えます。

//運とタイミングの関係

運とタイミングは同義に取られがちですが、実際のところは違うものだと思います。しかしながら普通に過ごしている場合、それは同じものに感じます。
実は僕は運というものは、全体での取引があるのではないか、と思います。
僕たちの世界で一番似たものは、「二酸化炭素の排出量取引」に近いでしょうか。

ある特定の人がいます。その守護霊団もいます。
緊急事態の時、またはどうしても不運がダメな時、守護霊団の上の方が融通を利かせたりしているような気がします。

問題は引き受ける側です。
耐える力が強かったり、いい人であったり、自分より人を優先させたり、またはある種の他の一人より強い力があったりする場合(霊力など)、引き受けることができない、または引き受けたら今度はこちらが壊れてしまうような場合、必然的にそういった人に対してのお願いが多くなります。
そういった性質は、どうしても守護霊団も似たようなものになってきてしまうので、

(というより、守護霊団がそういう性質を持つために、物質界の本人が同じような性格や性質を持つようになる)

自分が耐えられる限界ギリギリまで引き受けてしまいます。時には限界を超えてでも。そうすることで、守護霊団のもう一つ上の単位のグループでバランスが取れてしまい、結果としてよしとなるのでしょう。
つまり、

「我慢できる人が我慢してしまえば、全体に問題がないでしょう?」

ということなのです。
この守護霊団のグループをヘミシンクではI/Thereクラスターと呼びます。
いってみれば、そのグループ全員が自分なのです。今の現生での自分というのは、その大きな塊からでたほんの小さな一部分、木で言えば、根っこの先や葉っぱ程度に過ぎないのです。だから、大きな木からみれば、全体が問題ないからいいよね、となってしまうのです。
でもこれでは、今、こうやって生きている自分たちには本当にかないません。

言い方は悪いのですが、こういう
「人がよくて引き受けてしまう嫌なことは、やらないことで断る意志を示す」
ということが必要ではないでしょうか。
お人好しは、霊の世界にまで及ぶのです。
逆に言えば、自分が守護霊団に対して影響力がある、ということでもあるのですから、自分は不要な調整は引き受けない、と宣言をしましょう。
実際のところ、僕はこれでかなりのタイミングや不運というのがなくなっています。とんでもない量をひきうけていたのだな、と思うほどでした。

宣言をする方法は簡単です。
もし自分のせいではない、不運などが身の上に起きたら、

「私はもう調整役を引き受けません。余分な不運を引き受けることは頑として反対します。できる限りのことは協力しますが、できる以上のことはやれませんし、物質界に生きることに不運は非常に困ることがあります。それは協力できないです」

と、きっぱり宣言するのです。
ある意味で、これは、

「わがままで、自分勝手で、好き勝手なことをやっている人の方がなぜか幸運にみえる」

ということに通じるのだと思います。

必要以上に人格を貶める必要はありません。
しかしながら、私たちは、肉を持って物質界で生きている以上、お人好しすぎたり清廉潔白でい続けることはできません。そういった、暗い部分を認め、霊団たちに主張することで、霊団もまた怠けることなく人間を導く仕事の意味をわかっていくのだと思います。

私たちはできる限り、理想の人間、人格に近づく努力は必要です。
ですが、一方で、物質界で、人間界で生きる、という意味も知らねばなりません。
それはできることとできないことを知ることでもあります。

私たちは、霊も含め、全員が全くの成長過程の途中なのです。
物質界で生きていくために必要なことはして、初めて人間として生きた、という称号が与えられることを考えるべきだと思います。特に、不運に遭い、タイミングが悪い、と自身が思うならばなおのことです。


少しは疑問の根本的なWhyに答えられたら、幸いに思います。
無理無茶はやめてしまいましょう。