日本国は風水整備をやり直す必要がある。
台風によって被害に遭われた方々にお見舞いを、亡くなった方にご冥福をお祈りいたします。一刻も早い日常が取り戻せますように祈っております。
豊葦原の瑞穂の国と言われて久しい日本国だが、最近の日本の災害は世界から見ても深刻だと思えます。
僕のツイッターで、ダムの是非についてちょっとした炎上がありましたが、政治的理念や机上の空論が多く、炎上している最中は台風の被害がつかめない中での話しであり、実際に被害を見てみると、思うところはあります。
さて、自分の仕事いうか、属してるものが古代中国のものに由来するものが多いので、どうしてもこういう事例の紹介になりますがご勘弁ください。
日本の陰陽道に「反閇」というものがあります。へんぱい、と読みますが、この技術の元と言われているのが、禹歩です。
実際には禹歩と反閇は実際にはかなり違う物であり、混同している方も結構多いのですが、素人目には間違いがないかもしれません。
反閇については、他のサイトに譲ることにします。ググれば多くの解説がでてくるので普通の人にはそれで十分かと思います。
さて、禹歩については、あまり詳しい説明が出てきません。これは、日本の陰陽道が先走ってしまい、古代中国の呪術についてあまり詳しい説明がないのも要因ですし、日本では道教が表面上は定着しなかったので、馴染みがない、というところからでしょう。
禹歩については、詳細に説明すると本が一冊書けてしまうので、なんともですが、缶他人に説明を申し上げれば、
「昔、古代の中国。禹という王様がいました。彼は中国の最初の王朝、夏(中華の華は夏から来ており、未だに夏人と名乗る中国の方がいます)の最初の王様でした。禹が王様としてなり得た、優れていた点は、治水にありました。
とても仕事熱心な王様で、そのせいで半身を病んでいましたが、その身を押して治水工事を進めたと言われています。その際に、諸国を歩く姿が片足を引きずっていることから、禹王の歩き方、禹歩には神秘的な力が宿っているのではないか、と神格化されるようになりました。
禹王は戦争ばかりしているのを取りやめ、まずは自分の国の農民たちが安心して暮らせるように務めました。当時の中国では灌漑工事、治水工事は技術がなくとても遅れており、毎年のように大洪水を引き起こし、川の神は怖れられていました。河があらぶれば当たり前のように娘たちが生け贄にされていたのです。
禹王は大変心を痛めており、なんとか治水を完成させたいと諸国をまわりました。民からは慕われ、禹王は治水を完成させました。それに伴い、税金の仕組みや、政治的な仕組みを改め、素晴らしい王としてたたえられるようになりました」
簡単に言えば、禹歩の始まりはこんなところです。
中国は黄河に長江と大河があり、治水灌漑がとても難しいところでもあります。
禹王のようにせい、とは言いませんが、温帯湿潤気候の地域で治水は国家の要ということは少し考えたらわかることですし、さらにいえば、今回の被害をみれば、とりあえず税金投入して適当な過去の事例を習っていればいい、ということでは片付かないということわかります。
気候が変化し、気候モデルを大きく再計算したように、今回も治水に関しては大きく考え方を変えざるを得ません。
「なお従前の例による」
では、本当に国民が滅びかねません。
奇抜なことをせよ、ということではなく、官僚も政治家も自分の足できちんと治水するべきところを歩いてみることが大事だということです。
数値や予算の書類をにらめっこしても、国民はちっとも幸せになりません。
自分の足と自分の目で、感じて、考えることが大事なのです。
現代に生きる日本人は、大事なことを忘れています。
自然への畏敬の念です。
その昔、天人相関という考え方がありました。
天地人はそれぞれ個別に存在しているのではなく、それぞれ関係性をもって存在しているという考え方です。
人が領分を犯して間違ったことをすれば、天は怒り荒れるという考え方でもあります。
そんなことはない、という人もいることも知っていますし、非科学的だ、という声もあります。
今の科学が完璧でなく、全知全能ではない限り、それは違うと否定することは理にかなっているのでしょうか。その昔、荒れ狂う大地に住んだ人たちは、そんなことは考えなかったのでしょうか。
私達は、もっと日本の国土、大自然に敬意を払うべきだと思います。
それは大自然の一部である自身にも敬意を払うことにも繋がります。
私達は、何の一部なのでしょうか。
私達が生きているのは、大自然の中なのです。