願いが叶った日

71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.


71年前、空は晴れ渡り、雲ひとつない朝でした。
『死』が空から落とされ、その瞬間、世界は全て変えられました。
閃光と、火の壁は、街を破壊し尽くしました。
それは人類が自分たちをどのように破壊するのか示したのです。




伊勢志摩サミットに関わった方々、住人の方も警察もホテルマンもなにもかも含めて、本当にお疲れ様でした。一気に波が来て、一気に波が引いたようでした。

上の一文は、伊勢志摩サミット後、広島でオバマ大統領が行ったスピーチの出だしの言葉です。
本当に思うところがあります。

まずは、被爆者、ひいては、日本人全員の願いが叶えられたことに、運命に感謝したいです。そして、本当に良かったですね、願いがかなって。
まだ、始まりなのはわかります。
しかし、誰かの願い事が叶う、というのはとても嬉しい事なのですね。


オバマさんのスピーチは大変素晴らしかった。
日本語に訳しても、英語でそのまま聞いても、やはりとても印象的でした。
でも、ちょっと出来過ぎなのかもしれないなぁ、と思いました。
ええ、あの地に立つこと、原爆資料館にたった10分、いえ、10分も滞在することに、どれだけ米国国内の反発を買うのか、そしてどれだけの抵抗勢力があるのか、少しは解るつもりで、敢えて辛辣なものの書き方をしています。

原爆に関して、日本は当事者であるがゆえにどうしても冷静に見切ることはできないでしょう。そして、日本のマスコミの性質から、原爆に関してどのように評価されているか、広島に自分たちの大統領が立つことが、どんな意味を持つのか、という米国国内の感情論を知らずに、話をしてしまいがちです。

残念ながら(こういう気持ちが当事者なのですが)、原爆の投下については、非常に良い印象をもって米国内では評価されていると言わざるを得ません。
それはあの戦争を事実上止めた、という話と、ロビー団体、とくに全米ライフル協会と退役軍人の団体のパワーバランスから、また、第二次大戦時の旧日本帝国の驚異的な軍事力、国力からして、しかたがないことなのです。

つまり、米国内では原爆を投下していなければ、戦争は続いていた(真偽の程は別ですよ、投下しなくても戦争は終わっていましたが、それは結果論です)というスタンスは変わらないでしょうし、戦争を止めた立役者としてやはり必要であった、という話であり、被爆者や被爆地のことなどは話が別になっているからです。

そういった前提条件を無視して、今回のオバマ大統領の広島訪問は語れません。
米国にはプライドがあり、彼らになりの正義があり、正義が屈することはあってはならないのです。つまり、オバマ大統領が、広島に訪問するということは、米国内の一部では、戦争を止めた原爆の正義を自ら否定することだ、ということになり、なんら非のない米国がなぜ敗戦国に謝ることがあるのだ、ということになるのだと思います。これは、事実とは関係がなく、単なる米国内での感情論の推察です。

ネットでは、10分しか、原爆資料館にいなかった、なにがわかるものか、という批判も多く、それは確かに日本側の感情論です。ですが、ツイッターで回ってきたように、
「現職大統領が10分間も原爆資料館にいた」
のが本当のところです。
米国内の原爆賛成派は、たとえ1分でも長い、というでしょう。そんな中、10分も割いたのは僕は大したものだと思いますし、任期が残り8ヶ月しかないからできたことなのかもしれませんけど、それでも、です。

ツイッターにも書きましたが、オバマ大統領のスピーチは感動的でした。あれは、スピートというより、物語の読み聞かせのように日本人は感じたのでしょう。僕はあのスピーチは素晴らしい、と皆と同じ評価はしていますが、その反面、素晴らしすぎて、どうかな、とも思います。あれはスピーチして聞くならば、米国人向けのスピーチではなかったのだろうか、とも思います。

自分が人生を歩む参考書の一つにしている、老子(老子道徳経)にはこのように書いてあります。

老子81章

本当の言葉は華美ではなく、華美な言葉は本当ではない。本当の弁論家は弁舌が巧みではなく、弁舌が巧みな者は本当の弁論家ではない。本当の知者は博識ではなく、博識な者は本当の知者ではない。


老子の一番最後にある、ということは、老子が一番言いたかったものの一つなのかもしれない。そこにこれがある、ということは、言葉巧みなものには、よく気をつけよ、というです。
オバマ大統領のスピーチに感動しましたか?
その感動、自分が考えて感じたものか、与えられて感じさせられているものか、よく考えなければなりません。
とくにこれからのことを考えるならば、それは本当に考える価値の在ることですから。

他にも

老子31章

武器は不吉な道具であり、君子が使う道具ではない。やむを得ず使う場合には、あっさりと使うのが最上である。勝ってもそれを賛美しない。

45章
「大いなる完成は欠けているように見えるが、その働きは衰えない。大いなる充実は空虚のように見えるが、その働きは窮まらない。


がある。
オバマ大統領のスピーチは大変良かった。完成されたものが故に、私は疑問を抱く。
素直に受ければ、それはそれでいいのだが、このスピーチの後ろに隠された意図は、ベス国国民に向けて語りかけているのがチラチラとかいま見えるのである。

広島の原爆の地、被爆者と日本人の願いがかなったことは素晴らしいことです。オバマ大統領のいうことも素晴らしかった。
今度は我々の番かもしれません。
原爆をどうして投下したのか、なぜ、米国の世論はそれらを支持するのか、相手が歩み寄ってきたのだからそれに甘えることなく、私達が原爆誕生の地、ロスアラモス国立研究所やそれに属するところ、見学できるところ、行けるところに行って、再び核兵器というものがとういうことなのか、「考える」ことが必要になります。
相手の事を知ることを怠ってはいけませんし、核兵器廃絶の運動を絶やしてもいけません。

僕は思うのです。

私達自身の足で一歩を踏み出そう。