ビジネスと礼儀

ビジネスに礼儀はつきものだ、さらにいえば、力の上下関係もつきものだ。
自分は管理職にあるし、社会的には役職がある年齢にもなつているので、例に漏れずそのようになっている。最近、驚いたことがある。

「最近の若い社員は、礼儀を心得てない」

と、いうことだ。
詳しいことは端折るが、担当者が変わったのに、引継ぎをしていないという。
とても複雑な案件だったので、

「ご面倒でも引継ぎされたほうがいいと思いますよ。二転三転している事柄なので、難しくなっています」

と、やんわりと『注意』をしたのだが、先方は頑として
「自分が手がけ始めたので問題はありえない」
と譲らなかった。
とかく複雑になったので、引継ぎなしでうまくいくはずがないとわかっていた。
それで、用件を渡されたのならば、経緯を知っておくべだ、といったのだが、
「どういうことですか、私は正しいのです!」
と平気でいわれた。

接する若者に、少し強い圧迫をかけると、最近はすぐ「己は正しき」と言い強情になる。
若さゆえ、と思うが、ビジネスの場合はそれが許されると思えない。
若かろうが、老いていようが、客が相手になっている場合、
「私が正しいのだから、私の言うことを聞いていればよい」
というのは、あまり通らないことが多い。
小生が出会った若者には、なぜ引継ぎが大事か、を、説明をしたのだが、
「確認して、また後から連絡します」
といったきり、連絡はいまだにない(もう一週間)。

非常識な、と思う方もいるだろうが、実はある業界ではこれが普通なようだ。
こちらから秘書的なことをしてあげないと、まともに一つのプロジェクトも管理できない、完遂できない、というのが普通なようだ。

小生は首をかしげる。
それはこの若者にではない、この若者には罪がない。
問題は、こういうものを指導せずに放置している、監督者である。
直属の上司、そのまた上の上司というのは、教育というものをなんと心得ているのだろうか。
昔のビジネスには、厳然としたルールと社交礼儀というものが存在していた。
もちろん、社会に出たてのフレッシュマンがそんなことを心得ているわけではなく、上司や先輩がきちんと教えて先方にはフォローを入れていた。
今ではそんなことがなくなってしまっているようだ。
もちろん、仕事の重責もあるし、それは俺も心得ている。
だが、教育というものを放棄して、会社、強いては社会には未来がない。

もちろん、大声を出して
「いらっしゃいませ」
をいう教育まがいのことも小生は大嫌いだ。

なんというか、ビジネスは社会の基礎でもあるはずだ。
資本主義の社会で生きていく以上、必要なもの、つまりもビジネスのルールというものがあると思うのだが、それを受け継いでいない、
「自分だけのビジネス」
しかできない若者ばかりで、日本の未来はあるのだろうか。